春になると、様々な不調が出るって方、いませんか?
風邪はもちろん、花粉症やアレルギー、怪我や人間関係のトラブルまで。
イライラする、だるい、頭が重い、精神が不安定になるという人も多いですね。
それは「春」の体の変動が関係しているかもしれません。
このページでは、春の変動の仕組みと出やすい不調、その解決法をお伝えするとともに、体癖の原理にも関係している、性のエネルギーの動きを考えてみます。
仕組みを知って体を観察しつつ、心地よく春を過ごしたいですね。
春に色々やらかしちゃう人は最後まで読んでみて下さい♡
季節の変化
体は季節に応じて変化しているというのが整体の観方です。
春に開き始めて、夏に開き切り、秋に閉まり始めて、冬に締まり切るというのが一年の変動です。
これは、気候の変化も関係してますが、基本的には季節(二十四節季)で動いています。
というのも、香港やインドは冬でも温かいですが、日本と同時期に体の変化が起こっているので、基本的には気候というより、季節の変化と言えそうです。
(気候による一時的な戻り等はありますが、日本にいらっしゃる方と、全く同じ時期に同じ変動を感じてることから分かります)
春の変動
春の変化はざっくり言うと、1月に後頭骨が開きはじめ→2月に肩甲骨が開き→3月に骨盤が開き上がる、という順に起こります。
ちょうど、花が開いていくイメージです。
花だけでなく、人間も春には花のように開いていくのですね。
年や人によって、多少違いがあるようで、今季の私の場合は、12月末に後頭骨に兆候が表れ始めて(顔や頭の過敏と風邪)、1月中旬に肩甲骨(胸やみぞおちの違和感)、2月中旬に骨盤(腰の変動)、3月初旬から呼吸器の風邪を引き、3月中旬に尾骨(古傷)、下旬に下痢と続きました。
こういう変化は、気にしてなければ気付きませんが、数年観察を続けていると、自分でも簡単に分かるようになりますので、ぜひ興味を持って観てみて下さいね。
スムーズに開いてる場合は、気持ちいいなーってくらいでそこまで感じないかもしれませんが、基本的にはその場所が過敏傾向になります。そこに気が集まる(なんとなく気になる感じ)、触れば熱く感じて、つい触ってしまうとか自然と愉気したくなる感じ。
どこかでつっかえてると、ムズムズする、うずく、痛い、あるいはなんらかの症状が出ることもあります。
風邪
風邪はその代表ですが、うまく頭や肩甲骨がゆるまない時は花粉症になったり、胸がつっかえてるとだれかと喧嘩したりと、色々出してきて騒がしいのが春ですが、みんなそういうトラブルが春の変化に派生するものだと知らないがために、外部要因のせいにしているのは、滑稽にも思えます。
風邪の流行がウイルス感染、花粉が花粉症の原因だと思われていますが、それはトリガーになってるだけで、基本的には本人の体の状態によるものです。
じゃないと、なる人ならない人、症状の重い軽いがあるのはおかしいですよね。
普通に考えれば分かると思うんだけど。。
風邪は過敏な人→敏感な人→普通の人→鈍い人の順で引きますから、流行ってる時に流行ってる風邪を引くのは、そこそこ季節の波に乗れてると言えます。
例えば1月にはくしゃみや鼻水を伴う風邪、2月は背中の寒気や咳を伴う風邪、3月は下痢や腰痛を伴う風邪、風邪までいかなくても、その周辺の違和感や不調を感じるというのは、季節の波に乗ろうとしてることを表しています。
逆に、4月5月まで花粉症をやっているというのは、ずっと頭や肩甲骨がなかなかゆるまないということですので、ちょっと鈍っているかもしれません。
五月病とか梅雨、夏が辛いというのも、春の変動をうまく経過できてないことが原因になるようです。
日本人の過半数が花粉症だという記事を読んだのですが、鈍っている人が増えてるのかもしれませんね。
私も子供の頃は毎シーズン鼻炎がひどかったですが、治りました。
花粉症のある方は「ゆるまろうとしている体」をサポートする形でケアしていくと、花粉症は必要なくなります。
症状自体が、ゆるもうとしている体の反応ですから、それを止めることは、症状を長引かせることになるというのは、原理を考えれば当たり前ですね。
昔はそんなこと考えたこともなくて、ひたすら症状を止めるアレルギー薬を飲んでたんですが、結局薬をやめたらアレルギーは出なくなりました。
なにかケアをするより、まずは不必要なことをやめて体がやってることを邪魔しないのが第一。体に任せれば変わります。
ケアはあくまでサポート。
でも、花粉症になれるだけまだ敏感なんですよ。
どういうことかというと、
ゆるんでるところはあるのに、ゆるまない部分があるから、そのアンバランスによって、症状が出るわけで、全身ガチガチにこわばってる場合は何も出ないこともあるんです。
いわゆる無病病というやつですが、一年中同じ体だと、夏は熱を発散できなくて暑いし、冬は縮めなくて寒いし、適応がうまくいきません。
体にどんどん疲労がたまる一方なので、ドカッと大病で出す羽目になることも。
それでも出せるだけいいですけどね。
さっと引いてさっと治るのが敏感な体ですが、鈍っててなにも出ないよりは出てる方が敏感だと言えます。
晴哉さんは風邪は3時間で経過したとか。
私は薬を飲んでた頃は1ヶ月咳が止まらないとかあったけど、今はだいぶ短くなりました。
とはいえ、スパッと経過できてるとは言えないですけど。
今年の春は久しぶりにほっとできたせいか、春らしい変動がどんどん出ました。
痛い所に気を集めると余計に痛くなるし、ほんとは変動なんて意識せずに好きなことしてれば勝手に体がやってくれるんだけど、
春の野が芽吹いて花が咲く、その様子を観察して、美しさに親しんでいれば、管理しやすいからってコンクリートで埋めてしまおうなんて発想にならないと思うんです。
自分がもともと自然って忘れてる人は、一度観察してみるといいかなーと。
なにを観るか。
どれだけ止めようとしても止まらない厄介な症状を観れば毎年厄介な症状が表れ、波の力強さを観れば丈夫になる。
偏り疲労の観察
症状や不調は、体癖とか、普段の生活による偏り疲労部位の違いにより、人によって出方が異なります。
月経は腸骨が拡がって下がる動き、春の変動は腸骨が拡がって上がる動きですが、いずれにしろ緊張が強めの人は、骨盤が開く時につっかえて不調が起こりやすいです。
私の場合、2月ごろに体を観察した時は、仙椎からのエネルギーが腰椎2番の左一側というところでつかえていました。
下からの波がそこでつっかえてそれ以上、上に流れないので、エネルギーが溜まって波が圧縮されてる感覚。
川の流れが石で堰き止められてる感じですかね。
堰き止められてるけど、水(エネルギー)はどんどん流れてくるわけで、そうするとそこから水漏れ=圧縮もれ現象を起こします。
水(エネルギー)がチョロチョロその石のあるところから漏れるんですね。
圧縮もれ現象と体癖
このつっかえるところが体癖の元なんです。
分かりますかね?
私の場合は左右型なので腰椎2番でした。
だから感情で漏れやすくなります。
上下型の人は、エネルギーが余ると腰椎1番でつっかえるので、思考になります。
ねじれ型の人は、腰椎3番なので、エネルギーが余ると喧嘩や批判をしたくなります。
前後型の人は、行動が止まらなくなります。
開閉型は、エネルギーがそのまま性欲になるか、なにかを探求するか。
すべて元にあるのは、性のエネルギー=種族保存欲求で、体癖というのは、その表れ方の違いだとも言えます。
奇数と偶数は感受性の方向は同じだけど、刺激に対して、引き締まりやすく過敏に反応するか、弛みやすく鈍りがちか、という正反対の構造が元にあります。
例えば、
腰椎2番の左が緊りやすい3種と、右が弛みやすい4種。
この体の構造によって、どちらも同じ左右の方向性、感情という感受性に特徴がありますが、3種は自分の感情に敏感で、好きか嫌いかがはっきり分かるけど、4種は感情がかたまらない(緊りにくい)ので自分の感情がよく分からず、他人の感情が色々入ってきて優柔不断になりやすい。3種は感情を出すけど、4種は感情を引っ込める(隠す)。
前後型の5種は、前後運動の中心である腰椎5番の右が緊りやすく過敏なので、刺激に対して考える前に前進する早さがあり、6種は左が弛みやすく疲れて鈍ると、なかなか行動にならない。
そういう風に、同じ刺激に対しても、別の方向性と速度で反応する構造が、体癖習性や感受性の違いを生む元になっています。
偶数は、緊張が遅いから内攻しやすいんだって気付いて、そしたら色々辻褄が合う!
2種は思考が、4種は感情が、6種は行動が、8種は怒りが、10種は性欲が内攻しやすいから、発散が噴出的になる。
奇数は外に動くから分かりやすいけど、偶数は内に動きがあるから外からは見えにくい。
例えば「体癖」についても、それぞれの体癖によって、興味の方向が異なります。
行動型の5種は、体を動かす筋骨格の運動系に興味を持ちやすく、合理的に考えるので、効率的な体操を考えることが他の体癖に比べて得意だと思います。
9種は根本的な原理を考えながら探求する、左右型はそれぞれの感情を考える、6種は幅広く取り入れて繋ぐ、上下型は理論体系を構築するなど、得意分野があるので、
なにかを生み出す時には、全然違う感受性の人がつながると、良いものができるのではないかと思っています。
でも感受性が全く違うだけに、それぞれ大切にすることが違っていて、他が大切にすることが分からないから、大変なんですよね。思いが強いとなおさら。
晴哉さんは体癖論の完成には300年くらいかかると言ってて、完成=死だから、ゆっくり成長していくってことなんでしょうけど、
当然「体癖」ですから、「体運動の構造」をはじめとした整体体系にその基礎を求めなければ、天文学、数学、幾何学、物理学、音楽といった宗教・秘教哲学の基礎を離れて独り歩きしている現代の占星術のように、承認欲求や自己顕示欲を満たすための道具、あるいはそれらを満たすサービスの商売道具になったり、安易な性格診断やタイプ論の一つのように歪んで広まりかねません。
応用が悪いとは言わないけど、先人の積んだ基礎を無視する愚行は慎みたいですね。
自分で確かめられる基礎がないと、妄想語りを真に受けてしまうでしょ?
まず気があって、心となり、動きとなって、形ができるのだから、気や心が分からないと話にならないけど、それだけじゃ妄想の可能性がありますからね。体で確かめることで「論」となり得る。
自戒ですが、体が整っていないと、変な方向にエネルギーが使われますから、体癖に触れる方は、少しずつでも自分や周りの人が整体になるように努めましょう。
そして研究は自然観察を基礎に置いていただければと思います。
話がそれましたが、
どれだけそれぞれの体癖が違うか、ということを、春にちなんで「左右型」を中心にお話してみますね。
圧縮エネルギーは、抑圧してると出ませんが、ちょっとゆるむと平衡要求が起こって、自分の偏りやすい方向でエネルギーの集散が行われます。
体癖の翻訳
例えば左右型なら、仕事中はきちんとしていても、プライベートでは自分の気持ちばかり喋るとか。
ちなみに、体癖によってコミュニケーションの仕方が異なりますが、これも自分の流れやすいエネルギーの方向性によるものです。
左右型は腰椎2番=感情としてエネルギーが発散されやすいので、コミュニケーションも感情のやり取りが中心となります。
左右的なコミュニケーションを見てると、たいして意味のないことを喋って、怒ったり笑ったり、その場がみんな共鳴して感情を増幅させてるってイメージですが、要は、こんなに楽しい「感情!」とかこんなに悲しかった「感情!」の共有という形でエネルギーの交流をし合ってるんですね。
それに対して、ねじれ型は競争やマウント、批判し合うコミュニケーションに手応えを感じて鬱散するし、上下型は知的なアイデアの交換、前後型は情報の交換や一緒に行動することがコミュニケーションの中心となります。
左右型は「感情」の発散集注という形で、エネルギーの平衡要求を満たそうとしてるので、話す内容にはたいして意味がないことも多いです。(論理やマウント、意味や合理性はないけど、感情の流れがある)
左右型のない人からすると、意味のないことを言うって意味が分からないので、気持ちよく感情を喋っている左右型に対して「。。。で?(何が言いたいの?)」と冷めた相槌を打つことになります。
また、相手が負の感情を吐露したりすると、マウントをとられてると感じたり、自分が責められてると解釈したり、アイデアや解決策を求められてると思ったりして「そういう考え方/やり方だからだめなんだ。もっとこうしたら?」と言うのはある意味誠実な対応と言えます。
しかし左右型としては、ただ単に「怖かった」「辛かった」「悲しかった」という気持ちを吐き出したかっただけというのは往々にしてあることで、自分が「感情」という方向で平衡要求を満たすことに快感があるので、他人も当然そうである思い込んでいて、それを促進する「共感」が自然な愛情表現の形となるし、相手がそれをしてくれない=愛情がないと勘違いをしてしまうわけです。
自分の方向性でエネルギーを与えようとするし(発散要求)、自分の方向性でエネルギーを引き出そうとする(集注要求)ということですね。
また自分のエネルギーが動員されやすい(平衡要求が満たされやすい=快)から、それぞれ、思考、感情、勝ち負け、愛憎、損得が刺激されることを楽しく感じるし、それ以外には興味が湧きにくい。
左右偏りの女性同士では、意識せずにこれをやっているので、同様のコミュニケーションを異性にも当たり前に求めてしまいます。
この方向性のズレが元で、すれ違いが生じます。
昔『話を聞かない男、地図が読めない女』って本が流行ったんですが、
俗に言う「女」は左右偏りの特徴を指すことが多いので、女の「話」というのは、要は「感情」なわけで、感情をただ聞いてほしいのに、「アドバイス」を与えて感情発散を妨げる=話を聞かない男に、女は不満に感じるって解釈できますが、左右の人が意味の分からないことを喋り始めたら、感情の発散か集注要求だと思って概ね間違いないです。
*なぜ左右型≒女になるかは、おそらく月経周期による骨盤開閉に左右差があるため、どんな女性でも「女である時期」は左右(+開閉)の特性が表れやすいためと思われます。個人的には思春期以降、左右が濃くなって、スイッチが入ると論理思考が難しくなりました。左右型のない女性や開閉がスムーズな女性はそれほどではないと思いますが、月経周期によって、感情の波の起伏が大きくなる方も少なくないと思います。ちなみに地図を読むのは上下の俯瞰≒男性的。世間とは逆行してますが、整体では体の構造の違いから「花紅柳緑」といって、男女は全く違う生き物と考えます。今回左右を中心にお話してますが、根本的な男女差は骨盤の開閉に元があり、それについては野口晴哉著『女である時期』に詳しいです。女性の不可解さに手を焼いてる人は読んでみて下さいね。
というわけで、
相手のためにアドバイスをあげたのに「ただ聞いてほしいだけなのに!」と怒り出して困惑した経験がある人も多いのではないでしょうか?
左右型にとって、感情を表現するのは感情エネルギーの平衡要求で、それが自然に起こるというのは、心身がゆるもうとしてる=「信頼してる」ということです。
発散さえできれば普段の穏やかさに戻りますから、安心して見ていて下さいね。
間違っても「あなたには〇〇する能力がない」と誤訳しませんように。
最近の女性は、男性同様に理知的なことを求められていて、普段なかなか感情を出せない人も多いと思います。
安心して感情を出せる相手には、感謝しかありません。
この辺のことは、20年以上前に読んだ、
『男は火星から、女は金星からやってきた』って本に書いてあったと思うんですが、今見てもベストセラーなので、まぁまぁ普遍的なんじゃないかと思うし、
異性は異星人レベルに違うと知って翻訳できるようになると、仲良く暮らしていけるんじゃないかと思います。
”女は「拒絶」が、男は「挫折」が怖い”
はそんな気がしますよねー
私もそうですが、少年/少女漫画とかドラマで植え付けられた、お姫様願望とかヒーロー願望とか、相手は完璧、みたいに非現実的な男女の幻想持ってる人にはいいかも。まぁこういうのは自分の偏見に気付くためであって、マニュアルとして読むようなものじゃないですけどね。
体癖も同様で、同じ刺激に対して、相手が思いもしない方向に反応するのは惑星軌道の方向の違いみたいなものなので、お互い宇宙人だと思ってベクトル分解→翻訳しないと糸がもつれることが多いです。
例えば左右型にとって好かれるとか嫌われるとかは、わりと死活問題なんですが、それが他の体癖の人には分からなくて、取るに足らないものって思われるのと同様に、上下型の地位とか上下関係、ねじれ型の優劣とか力関係って、なぜそういうことが大事なのか頭では理解できても、実感が湧きにくい。でも元は種族保存のエネルギーで、体癖はその生存戦略の違いだと思えば、なんだか切なさを感じる。
左右型としては、ねじれ型が怒ったり批判してると「怖いよーやめて!」って思うけど、
「今日も元気だな―」って気楽に観てられるようになりたい。
9種としては、ほんとのことをガツンと言ってやりたい気持ちはあるけど、「嫌われるからやめて!」って4種に止められるんですよね。一人の中でも三重人格みたいに葛藤があるのは、体癖の組み合わせによるところが大きいです。
左右型は挨拶がてら気軽に褒めたりするんですが、3秒後に平気で悪口言ってたりするので、言葉は真に受けなくていいです。まぁ、ほんとのことは、そう気軽に言えないって覚えておくといいですね。
基本的に嘘つきですが、特に悪いと思ってなくて、仲良くできればそれでいい。
嘘つきなんて失礼な!
みんな良いとこ悪いとこあるけど、良い人悪い人なんていないじゃん。
清濁併せ呑むって言ってちょうだい!
でも、子供は純粋だから、お母さんや大人の言う事はそのまま素直に受け取ってしまいます。
左右が全然気にならない優劣や勝ち負けを、ねじれはどうしても気にしてしまうし、ねじれの子供の前では不用意に他の子のことは出さない思い遣りが必要です。
でももし、ついうっかり他の子を褒めたり庇ったりしたことで、お子さんがお友達を憎んだり、意地悪し始めたら「あなたが大事。そんな器じゃないでしょ?」って言って晴哉の伝記でも渡しといて下さい。
昭子さんが体癖をなんのために使ったらいいか書いてた気がする。
同様に、左右の女の子に可愛くないとか容姿の不出来を言うと、ふくれて、わざと困らせて気を引くようなことを始めます。(自信がなくなると、集注要求が起こる)
9種にはテキトーなこと言うと見透かされて「何も分かってない」と馬鹿にされた挙げ句、心を閉ざすので、不用意に褒めないのが無難ですが、「我が意を得たり」となると嬉しいです。普段自分が「なぜ分からない?」と思っているから、「なぜ分からない?」と言われると堪えるけど、9種は自分の興味のあることに勘が働くだけで、他はさっぱり分かってないから、あまり気にする必要はありません。でも一つを探求していると、他が分かるのも速い。
というように、感受性の方向によって過敏に反応すること、鈍いことに濃淡があるので、「なんなんだ!?」と困惑しないためには、自分と相手の感受性の偏りを知っておく必要があります。
最近は、体癖を知るのは、体癖を見ないことが目的の一つじゃないかと思っていて、通常、我々はエネルギーの表面の波の形=体癖現象に気をとられてしまいがちですが、その下にある潮流を観るためには、表面の波に気をとられない必要があります。
左右型がすぐにわけの分からないこと言い出して面倒くさい馬鹿なのかなとか、前後型が都合悪くなったらすぐに逃げて腹立つビビリなのかなとか言いたくなるんだけど、左右は感情で、前後は合理的に、それぞれ自然な習性に沿って動いてるだけなので、星の軌道を観るように観ておけばいいんでしょとか頭では思っても、渦中にいる時は無理!
しかし波は一時的に高まって荒れても、待ってれば落ち着くし、
ましてや言ってる本人すら嘘かほんとかも分からない言葉面を追うのは、水を掴むようなもの。
生身の人間だから、意識が表面の波にのまれるのは仕方がないけど、
潜在意識に沈めば、つながっていて静か。
整体指導というのは、必要な時に必要な刺激を与える、啐啄の技術と言われますが、表面の意識とはほとんど関係なく行われる、潜在意識教育なのかもしれません。
人間の裡にひそむたった一つの言葉をきく耳さえ持っていれば、相手は訴えるだけ訴えてそして心の中が空っぽになるとこちらの指導もすらすらと受け入れ、サッサと歩きだすようになる。こちらは何もしないで、一寸気を入れ、抜く。やることはそれだけなのです。
野口晴哉『人間の探求』
整体指導者は、自然と訴えられるようになると一人前と言われていて、二代目のロイ先生が晩年に「タクシーに乗ったら、身の上話をされて、ようやく自分も一人前になれたのかなと思った」とお話されてました。
普通、人に言えずに隠してるような自分の不安や醜さを、ついべらべら喋っちゃうのってなんなんでしょうね?
愉気は、呼吸の速度を合わせる、丹田を繋いで相手の方向に合わせる、相手の背骨で脊椎行気するつもりになると、同期・同調するから同時に感応する。
速度が合わないと侵されてる感覚になって警戒するし、方向が合わないと押し付けられてる感覚になって反抗する。自分の速度や方向=我を忘れてニュートラルな状態で相手に集注/受容すると合ってくる。
愉気も行気も会話も男女の交わりも原理は同じって気付いた時は感動した〜。
ただこういうのは技術の練習ですから時間やエネルギーの節約にはなるけど、実際には自分の速度が破られることに快感がある時もあれば、別の方向の気が入ることで生まれるものもあるから、魂をぶつけるような本式の愉気ではそういう小賢しい工夫はいらない。
整体って医療とかより、どっちかっていうと官能の世界に近い気がする。感応だけに。
弛みと引き締まりの波の同調。
なぜ性が古来神話や神殿に神聖なものとして祀られてきたのか、なぜ整体指導
に礼や型が必要なのか。
と、なんでも種族保存のエネルギーと結びつけると分かりやすい9種の感覚が理解されないように、
「いくら言葉を尽くしても、分からない人には分からない」というのが体癖の方向性の違いだけど、体の構造と同様に、心の構造も違っていて、本人が思ってることと他人が解釈してることは全然違う可能性があるということは覚えておきたいですね。
左右型の行動は感情を中心に観ると辻褄が合いますが、そういう理解があると、正気=ニュートラルに戻りやすくて怒りが収まるのが早いというだけの話で、
体癖に関わらず、表面の言葉や態度がどうであろうと「ないがしろにされると悲しいし、解ってくれないと辛い。もっと大事にしてほしい」と訴えていたり、「相手のためになりたい」という素直な欲求を感じられる敏感さは保っていたいものです。
余剰エネルギーの使い途
余剰エネルギーが過剰になって圧縮されると、圧縮もれ現象を起こしますが、圧縮もれが閉ざされると過激な噴出が行われます。
それも自然の働きですから、悪いわけではないのですが、どうしても社会生活を営むうえでは、問題になることも多いです。
そこで、それをどう処理すればいいか考えてみましょう。
春のエネルギー
春は、
後頭骨→肩甲骨→骨盤と開いていきますが、この開き方は左右均等ではないので、左右のアンバランスが起こることによって、この時期は、だれもが左右的になるものと思われます。
後頭骨が開いて頭はふわ~っとなり、胸が開いてときめき、骨盤が開くことによって、下からのエネルギーが解放されて、波が高くなるんですね。
つまり「左右」と「開閉」の波が高くなるので、そこから派生する問題も起こりやすいわけです。(つかえると「ねじれ」も?)
「問題」というより、そもそも動物同様に、人間も春は、左右の恋愛→開閉の妊娠の季節なんだから、当たり前なんですが、人間社会だと「問題」になりやすいということですね。
木の芽時には、露出狂とか変態が増えるってのも、鳩が仲良くしてるのも元は同じエネルギー。
体を整えれば、犯罪も減ると思うわ。
自律神経の変調やメンタルの不安定、イライラ、頭がボーっとする、めまい、頭痛などを始めとした不調の原因も、こうした春の身体の変動とエネルギーに派生するものです。
普段からゆるんで、スラスラ流れてる人はいいのですが、つかえや抑圧してるものが大きいと圧縮エネルギーが派手に噴出・爆発することがあります。
特に大脳の制御が効きにくくなる春の波に、体癖の波や、生理周期の波などが重なると、より波が大きくなり、エネルギーのコントロールが難しくなりますが、そういう時に外部的なトリガーがあると、圧縮エネルギーが噴出します。
簡単な風邪で調整が済めばいいのですが、
病気や怪我、感情的な不安定やトラブルなど、破壊要求となることもあります。
大きなエネルギーの波がつかえてた堰を切って、流れ出すということなので、体としてはある意味自然なのですが、なるべくスムーズに経過したいですよね。
やらかしたって話ちょこちょこ聞いてるんですけど、
思い返すと、私も春は結構やっちまってるんですよねー。
その時は「なんであんなことを。。」って思ってるんだけど、結果的に良かったことが多い気がします。
コントロールするより委ねた方がいいのかもね。
食べ過ぎ
まず、入れるエネルギー自体を減らせば、過剰エネルギーにはなりにくいわけですから、食べ過ぎを減らすということが第一にあります。
必要以上食べてれば余剰エネルギーになるか、捨てるかしかないですね。
捨てるにしても貯めるにしても、胃腸や肝臓、腎臓などの消化吸収・排泄器官を中心とした内蔵に負担をかけることになります。
動かずに食べるのは自傷行為とも言えます。
整体だとちょっとの量で満ちるんだとか。
また3種の人なんかは、エネルギー(性欲)が過剰になると、その発散のために食べる→余剰エネルギーになる、のスパイラルで、慢性的な食べ過ぎが続くと背中の胸椎6番から9番あたりの筋肉が盛り上がってきて、右肩上がりの猫背・肩こりになります。なので、頑張って姿勢を良くしようとしたり、肩を揉むより、食べ過ぎを解消するのが根本的な解決となります。(肩は揉んでもよくなりません。下手に揉むと余計に硬くなります)
ただ、左右型の人は意志で食欲をコントロールしようとダイエットなどやると、とたんにストレスになってリバウンドすることが多いので、体を整えながら自然と食欲が落ち着くようになっていくといいですね。
3種はエネルギーが余ると食べたくなるってのは実感としてあるそうです。
ムラムラしたら食べ放題行くって言ってたよ。
でも量食べても結局また余るだけだから、さっぱりはしないそうです。
質の良いものを少し食べて満足できるようになると整ってくるし、左右型の品の良さが引き立ちます(お世辞)。基本は粗食、たまに美食。
慢性的に色気より食い気になってる人は、腰椎にあるべき緊張が抜けて、胸椎に行ってるってことなので、お尻を上げて腰に力が集まるようにするときれいに痩せると思います。
逆に、食べても太れない人は、胸郭と骨盤が拡がればそんなに食べなくても太れるはずです。
左右型の人は特に、食に感受性が向きやすいので、まず食を整えることから始めるといいのかもしれませんね。
とはいえ、あんまり知識で食べるのも考えものです。
インドに来て、一ヶ月下痢が止まらなかった時は、アーユルヴェーダのお粥とか食べても全く治らなかったのに、「えぇいもう知らん!」と思ってカツ丼ガツガツ食べたらあっさり消化できたから、食べ物に「良い悪い」があるんじゃなくて、その時の自分に「遇う遭わない」があるだけ。
栄養など気にするな。食いたいものを食え!
それで壊すなら壊したい要求。
なにが食べたいのかも分からないような時は単純にお腹が空いてない。
その辺へとへとになるまで走ってくればなんでも美味しい。
余剰エネルギーの使い途
食べすぎると、川の水(エネルギー)自体が増えるし、処理しきれないものが増えると水が濁るように、
まず必要以上のエネルギーを取らない、つまり食べ過ぎをやめる、自分に合った質の良いものを食べるのが第一です。
整体の状態であれば、自分に合うものは美味しく感じるし、どんなものでも美味しく感じるのが整体です。
よく分からない人は、「必要なだけ食べようね」ってお腹に話しかけながら食べてみて下さい。
迷った時は、「これ食べる?」「食べない?」って聞きながら息をすると、体に合う方で息が大きくできます。
また勢いよく食べてて、どっかの時点で「はー」って深呼吸が出て箸が止まったり、味が変わったりするのは、そこが止め時で、それ以上は惰性で食べることになるから食べ過ぎになります。整体で言う食べ過ぎは「栄養所要量」とかで計るんじゃなくて、体の感覚です。
いつも体の「快」を破って食べてると鈍くなる。子供に無理やり「栄養つけなさい!そんなんじゃ強くなれないわよ!」とか言って嫌がってるのに食べさせるのは論外。
体と仲良くしていくと敏感になってくるので、自然と変なものは食べなくなるし、ちょうどいい量が分かってきます。
ただ、労なくして食べ物が手に入る現代では、どうしてもエネルギーは余るし、それが人間の文化を作る元にもなってるから、悪いことでもないと思うのだけど、使い途が大切ですよね。
エネルギー過剰状態の人はよく、反芻といって「なんであんなことやっちゃったんだろう。なんて馬鹿なんだろう」「なんであんなことされたんだろう。許せない」みたいに自分の失敗や他人の過ちを繰り返し思い出して、そこにエネルギーを注ぐので、より強固にその信念を確立して、現実もそのようになっていきます。
こういうのは「考えないようにしよう」としても無理で、エネルギーを他に転換すると、変わります。
病気を「治そう治そう」とするのも病気という信念にエネルギーを注いでるので、なかなか治らないのと同じです。
潜在意識教育
余剰エネルギーは、やはり活き活き生きる方向、成長する方向に使いたいですよね。
整体では七夕のときに、願い事を書くことをやりますが、旧暦のお正月も春に拡がっていく胸に、希望を抱くには、ぴったりの季節です。
どんな年にしたいか、カレンダーや手帳に書いてみてくださいね。
その方向にエネルギーが流れるようになります。
潜在意識に入ればいいので、気楽に「こうなったらいいなー」と想って忘れてると叶うことが多いようです。
やり方は、その時に自然とできる方法で。
お正月には書き初めをするだけあって、まだ冬の緊張が残っていて頭が中心ですから、文字で書くのが適ってますが、今時期(春分近く)は、上手く波に乗れていれば、ウキウキワクワクした、いい気分のはず。
現状無視でいいですから、ぽかーんとして自然と浮かんでくる愉しい空想にニヤニヤしちゃいましょう。
整体
特別やりたいこととか、願い事が出てこない人は、とりあえず「整体になって幸せに暮らしてる」ってどっかに書いといて下さい。
そこに引っ張られるようにエネルギーが流れます。
悩みや不調、病気があったり、周りに当たるとかいうのは、だいたいエネルギーが余ってますから、大事にしすぎると、より余ってきます。
もっと弱ってる人を探して愉気するとか、だれかの為にできることをできる範囲で。
なにか親切にしてもらっても、悪いなどと考えずに、発散を手伝ったと思えばお互い様だし、感謝してるなら別の形で返すとか、他の人に繋いだら良いと思います。
こないだ親がインドに来てたんですけど、物乞いの子があんまり「お金ちょーだい」ってしつこいから、母が「お金ちょーだい」って言ったら普通にくれたって喜んでました。
その子と拙いヒンディー語で喋ったのが一番おもしろかったって言ってたな。
古傷
体が開くためには、硬直がゆるむ必要があるので、体に影響が残った古傷が出てきて大変なこともあります。
体には波があって、常に変化しているのですが、その波が全身一定ではなく、早すぎたり(過敏)遅すぎたり(鈍り)というアンバランスが、体癖を始めとした偏り疲労の元になっています。
古傷とは、昔の精神的・肉体的な打撲(ショック)が体に残ってる状態を指しますが、その部分の波が凍って、身体の歪みや、認知の歪みの元になっていることも多く、一部分が発育不全でアンバランスになってるような感じ。
春はそういうものが溶け出そうとするので、痛い。
わざわざ掘り返す必要はありませんが、浮いてきて痛みがあるということは、体に回復要求が出てきているということです。
痛い傷は治るし、愉気すれば回復は早い。
自分が持っている痛みを、他人に感じさせてしまう居たたまれなさから、人を遠ざけようとすることは、やさしさかもしれないけど、少し寂しい。
なにかを見る時は、通常自分の偏見を通して見ていますが、その偏見を知るには、自分を観る必要があります。
だれかと摩擦が起こる時は、その人をそのまま見ることができずに、過去に知っている自分の型にはめて観ているため。
名前をつけたり、型にはめれば、どう在るべきか、どう接するべきかが分かり、エネルギーを節約できるメリットはありますが、
そのような過去の幻影で自分や他人を縛ることは、止まることなく流れ続ける波の中で、未来の可能性を狭める、命に対する非礼です。
体癖も型ではありますが、型によってできる波の形を見るのではなく、その元になってるエネルギーを感じたいですね。
打撲
尾骨は鼻と繋がり、生殖器や肛門、頭と関係がありますが、打撲の影響の観察点でもあります。
尾骨の左右に軽く片手の甲を当てて、息を吸い込んだ時に、どちらも同じように深く吸えればいいのですが、どちらかが吸えない=気が通らない時、打撲の影響が出ていると観ます。
ショックがあった直後に確認して、すぐに対処しておけば後に影響が残りにくいですが、そのままにしておくと沈んで古傷になることがあります。
過去の記憶を思い出したり、体に痛みが出ている時は、古傷が浮いている場合があり、尾骨を確かめると、それが分かります。
自分でできる処置の方法としては、
尾骨の左、右と、順に手の甲を当てて、それぞれ息を吸い込んだ時に、
例えば左側は大きく吸えるけど、右側に手を当てて吸おうとすると吸いづらい場合、
大きく吸えた左側の尾骨のどこかに、硬くなって気が通らない処があります。
そこに愉気をしてると、だんだん手が動いていって、会陰付近を通って恥骨の裏から坐骨の内側あたりまで進んだところに、硬結がありますから、それに愉気します。
尾骨の左右を再度確認してみて、両方が同じように吸えるようになっていれば成功です。
古傷はなかなか厄介ではありますが、ちょっとずつ浮いた時に解消していくと、マシになってくる気がします。
尾骨だけでなく、気になるところには愉気してみて下さいね。
古傷はある程度抱えながら生きていくしかないけど、多少傷や影があった方が魅力的ってのはあるよねー。
晴哉さんなんか最たるものだけど、自力で克服した人は迫力が違う♡
最初から整体の人にはなかなか分からないと思います。何事も裏表。
春の体癖
春は、体癖も変わります。
立春〜春分までの間、
開いていく動き・エネルギーの発散と連動するように、体癖も、だれでも奇数・開傾向に変化します。
つまり、私なら普段9種4種6種ですが、この時期は10種3種5種になるということ。
だから、いつもよりオープンで、好き嫌いがはっきりして、行動も積極的になるんですよね。
内より外に気を向けていくといいようです。
*逆に立秋から秋分までは偶数・閉傾向に変化して内向きのエネルギーに。
春のケア
春の動きがスムーズにいけば、本来ぽかんとゆるんで、ふわ〜っとした心地よさがあります。
自然と親しんでいれば、そういう気持ちになりやすいので、
花を見るとか、芽のものを食べるとか、季節を感じるようにすると、体も季節の波に自然と乗りやすくなります。
逆に緊張を強いられると、スムーズに開いてゆかず、イライラするので、ケアしてみて下さいね。
受験みたいに頭を使って、神経が緊張するようなことは春より秋の方が合ってるので、
入試は立秋から秋分時期、新学期を諸外国にも多い9月か10月にすれば、五月病の鬱とか燃え尽き症候群が低減すると思います。
水を飲む
1月から3月頃までは、冷たいお水をよく飲むようにすると、体の変化がスムーズになりやすく、一年中潤った体となります。
「寒の水」と言って、小寒(二十四節気で1月5日頃)から大寒(2月3日頃の立春まで)は、昔から冷たい生水を飲むと身体にいいと言われていたようですが、
だいたい3月頃までは飲むといいようです。
ちびちび飲みましょう。
お風呂に入りながらや、足湯しながら、背中をあっためながらもいいですね。
全然吸収してる気がせず、飲んでもすぐ出ちゃう時は、少量口に含んで体温と同じくらいになるまで転がしてから吐き出し、その後にちびちび飲むと吸収が良くなります。
リップクリームや保湿剤がなくても肌が潤った状態になるのが理想です。
顔の3点
1月に頭がゆるもうとする時、顔が非常に過敏になりました。
「いつなにをしたらいい」というのも、最初は知識として勉強するのもいいですが、体で実感できるようになると、必要な時に必要なことが分かります。
スムーズに開いているなら、なにもせずに自然に任せるのが一番ですが、つっかえてる時、あるいはつっかえそうならその前に、ちょっと手伝ってあげると、楽に経過できるというのが、整体のおせっかいです。
結果として症状が必要なくなって止まるということは多いですが、症状を止めることは目的ではありません。
違い分かりますかね?
やってることは変わらないかもしれないけど、どう観るか、なにを狙うかというのは、潜在意識に作用するので、重要なんです。
自然を、厄介なものとしてコントロールするのか、
大切にして手入れするのか。
頭と骨盤は相似関係にあって、蝶形骨と仙骨、頬骨と腸骨、尾骨と鼻、顎関節と股関節は繋がってるみたいで、上がつかえてると下も、下がつかえてる時は上も、というように、連動しているようです。
ので、骨盤の動きがつっかえてるときは、顔を調整すると、骨盤の動きが良くなることも。
ちなみに若い時は、顔の造作自体とか生まれ持ったものの影響が大きいですが、30歳を過ぎるあたりからは、だんだん生まれ持ったものより、体型や肌、表情や人相のように、後天的な生活や心の動きの反映が大きくなっていきます。
顔の美しさは動きにあり、その動かし方に心が現われ、心が洗練されていないと笑い方まで妙になる。心のはたらきによって綺麗に現われる。
歳を重ねると美しくなるのはそのためで、若い時綺麗でなく、却って歳をとって綺麗な人がよくある。
自分のことばかり考えないで、自分のことを忘れて人のために尽くすというような生活をしていれば人相はよくなる。
自分を庇い、自分のことのみ考えていることは人相を悪くします。
教養は目つきをよくしますが、劣等感を持っていると、依然として口に緊まりがない。
口をいっぱいに開き、手でさらに開いて急に放すと口が緊まってきます。
容貌は心の動きであり、また教養の現われである。
子供や他人のことを考えて心を養っていけばよい。
けれども容貌に対する劣等感からは抜けきれない。
何故かというと、美しいとかそうでないとかいうことは他人が決めることで、またいくら万全を期しても欠点のない人はいない。
あったら化け物である。
野口晴哉
耳が痛い!
人に愉気してると人相が良くなるんだって〜
ゆるもうと過敏になっている時は、少しの刺激で変わりやすいです。
敏感になってる春に、目や鼻、顎関節に愉気すれば、骨盤にダイレクトに響くのが感じやすいので、目がつかれてる人、鼻がつまりやすい人、表情をきれいにしたい人はやってみて下さい。
- 目頭の上のくぼみ
- 小鼻の横のくぼみ
- 顎関節
が顔の3点です。
あくびをするのも簡単で、とても効果的です。
涙がいっぱい出てくるまで大あくびしてから寝ると、ぐっすり。
目と肺はつながっていて、風邪の時に目を酷使すると咳が残りますが、逆にこういう風に目を覆って愉気してると目が良くなってくるそうです。
頭の穴追い
”「穴追い」とは、整体法の中で最も劇的な変化を及ぼす方法です。(野口晴哉)”
ちょっとだけ専門的で、やり方を説明するのは難しいのですが、春(や秋)に行うと非常に効果的で気持ちがいいものです。
つまりがとれてエネルギーの通り道ができるので、さっぱり。
氣道協会が「春の穴追い講座」をされてますので、ご興味があれば。
人にやってもらうのが基本ですが、自分でできないこともないので、いつか。
2月〜3月が合うようです。
歯の治療
春は抜歯とか歯の治療はなるべく控えた方がいいと言われます。
前述したように、顎関節は股関節と連動して春に動きますから、そういう時にいじると乱れて影響が出やすいのでしょうね。
どうしても抜歯せざるを得ない場合は、春先よりは夏に、と言われますが、抜歯のショックは打撲状態になりますので、術後、打撲のケアはしっかりと行って下さい。
歯を削らずに虫歯を治療する「ドックベストセメント療法」の日本における第一人者としても知られ、著書に、『名医は虫歯を削らない』の小峰一雄歯科医師によると、抜歯により対応する内蔵が影響を受けるそうです。
そもそも虫歯は一回なったら治らないってのが常識だと思うんですが、小峰先生によると自然治癒するそうなんですよ。例のごとく既得権益のためか?風当たりが強いみたいですが。整体実践者の中には医者には行かないけど、歯医者には行くって人もいますよね。なるべく大きく削ったり抜いたりしない方針の歯医者さん見つけておくといいかも?ご興味がある方は本も読んでみると面白いです。
ちなみに歯並びは、顎の大きさ=胸郭の大きさ=呼吸器の拡がりが大切になりますが、
子供の頃に、きちっと呼吸器の風邪を経過するとしっかりしてきます。
喘息や咳は、抑圧が強くて、言いたいことも言えない気(呼吸器)の弱さから来ると言いますが、
風邪薬等で症状を止めて、呼吸器が充分に成長しきれずに思春期を迎えると、生殖器の発育不全が起こり、月経周期が短くなることが多いそうです。
さらにそういう呼吸器の発達時期に歯列矯正をすると、ますます生理不順になりやすくなると言われています。体を部分に分けて見る弊害の一つですね。
これはまさに私のパターンでして、なかなか辛い思いをしました。
どうかお子さんの自然を大切にし、良かれと思って行う「予防」や「治療」には慎重になっていただきたいと思います。
こういった経験が、整体をお伝えする原動力ともなっています。
呼吸器の風邪→風邪薬もそうですが、歯列矯正から、生える前の親知らずの抜歯手術まで、成長期に口の中はいじりたおした感があって顎関節、股関節がおかしく、顎は細く、胸郭がぺたんこと、整体で言われてる通りの体型になっちゃってて、今も知らずにやってる人がいるんだろうなと思うと、やるせない気持ちです。
春はそういった古傷が出やすく、矯正してた時の痛みや感覚を思い出したり、関節まわりがうずきます。そういう時は体が変わろうとしてるんだと思って観てますが、大人になってから治すのは結構大変。
はしかは呼吸器、水疱瘡は泌尿器、おたふく風邪は生殖器の発育を促すと言われていますが、そういう病気にもかからず、風邪すらまともに引かせてもらえない現代の子どもたちを思うと、「命に対する礼」として整体指導をされていた野口晴哉先生の姿が忍ばれます。
だから私は、野口晴哉の名を語って商売しながら、『風邪の効用』も説かないような人たちを信用してません。
何が大事なのかな?
オリジナルを読め、基礎から体系として学べと言ってるのは、そういうことが分からないから。
まぁ、それぞれ立場や事情もありますし、他人がどうこう言う事でもないですけどね。
自分の耳を心に当てて知れば良いことと思います。
こういう感情を隠してニコニコしてるのが4種ね。
まぁみんな色々あるししょうがないよねーってなぁなぁにするのが6種。
密かに「恥を知れ」って思ってるのが9種。
分かったかな?
だいたいその3方向で構成されてる。
花粉症
冬の間は肩甲骨も背骨の方に寄るように締まり、少し上がった状態になってますが、
それが春になると、すーっと降りてきて、ふわっと開きます。
この動きは顔とも連動してますので、どこかがつかえると、風邪になったり花粉症になったりします。
後頭部、肩甲骨の間や、目、鼻、頬骨など、気になるところの蒸しタオルが◎
活元運動の準備運動で、肩をぎゅーっと上に上げてスッと抜く、というのがありますが、あれもいいです。
また肩こりの大半は食べ過ぎによって起こるようですが、食べ過ぎ=肩こりがある人は花粉症にもなりやすいようです。減食してみて下さいね。
自分は花粉症だと思い込んで、その季節になると身構えてる人がいますが、必要がなくなれば、要らなくなります。いっぱい食べ込みながら薬を飲むなんて滑稽ですね。
自分に合った時期と方法でゆるめていけばいいですが、「気持ちいい」「快感」に従ってれば、そう間違い無いと思います。
お花見
開こうとする動きは、花が咲く動きと同じですから、自然の花を見ることで、その動きがスムーズになります。
気持ちよくお散歩したり、お花見して春の波に乗りましょう〜
旬のもの
旬のものを食べると、体は整いやすくなります。
山菜(ふきのとう、タラの芽、ウド、わらび)や、 菜の花 、アスパラガス、春キャベツ、新玉ねぎ、たけのこなど、
芽のものや、少しアクのあるものも多いですが、この時期にちょっとアクを入れると、人間のアクの排泄も活発にしてくれるようで、
体に適った食べ物は美味しく感じるはずです。
ぜひ味わってみてくださいね。
春の下痢
春は、排泄の働きが高まり、「春の下痢」と呼ばれる肝臓の掃除が行われます。
3月頃の下痢はどんどんやりましょう。
晴れた日に、お腹を出して風に当てると、必要な場合には下痢の促進になります。
また排泄を補助する形で、糖分や油分、アルコール、肉類など、肝臓に負担をかけるものを減らしてみるのもいいかもしれません。
体が整ってくると、自然と食欲も抑えられ、必要なものを必要なだけしか欲しくなくなるようです。
ウイルスや花粉相手に戦争したり、他人を責めることにエネルギーを使うよりは、自分を整えることに尽力した方が、遥かに建設的だし、根本的な解決になるはずです。
偏り疲労があると、それを解消しようと色々な不調や問題が出るわけですから、つかえをとったり、たるみを引き締めたりして、交通整理をすることでエネルギーがスムーズに流れるようにするのが、整体操法や整体体操の目的なわけで、体癖修正という意味もここにあります。
どちらも最近興味が出始めたので、あまり具体的には分からないのですが、全身に力が入り、全身がゆるめるようになればいいわけで、操法と体操はどうも原理も狙いも同じらしいので、自分の波を観察して、それに合わせて体操ができれば、自力でも整えられるかもしれません。
ともかく、春の下痢は、たいていの場合、肝臓の大掃除です。
右肋骨のすぐ下の腹部第5調律点(肝臓・痢症活点)への愉気で出し切ったり、
足の2指3指間(中毒の急処)がつまっていればそこに愉気してから、膝の上まで熱めのお風呂につける脚湯が気持ちいいです。
尾骨の焼き塩
春は、気が上がってエネルギー過剰になりやすく、つっかえや古傷が浮いてきて、過敏になったり、感情的、ヒステリックになりやすかったりしますが、
そんな時によく効くのが「尾骨の焼き塩」です。
簡単にできて効果が高いので、「キー!」っとなってる時や、頭に変なことが浮かぶ時は、やってみて下さい。
効果が大きいので、続けてやるのは2日までにして下さいね。
女性なら月経の3日目、4日目(最終日とその前日)にするのがいいようです。
本式では、フライパンやほうろくで自然塩を茶色くなるまで15分くらい?焼いて、それを布や和紙に包んで、火傷しないように何枚か布や和紙を敷いて尾骨に乗せて、一枚ずつとって温度調節しながら、冷めるまで20分くらい置く、というものらしいですが、
私はめんどくさくて、天然塩を一握り皿に乗せて電子レンジで10分くらい温めて、布に包んだのを尾骨に乗せてますが、悪くないです。
試してもらいたいのは、
最初の状態で塩自体を合掌行気みたいに手のひらで包んで、息をすると深く深呼吸ができると思うんですが(できない場合は、塩が合ってないので、他のものにした方がいいかも)
尾骨に乗せた後、一瞬だけでいいですが、同じように確かめてみると、「オェー!」ってなるくらい、邪気たっぷりになってるのが分かると思います。(よっぽど邪気がない人か、よっぽど鈍くなければ)
なんか知らないけど、塩が邪気を吸うんですかねー。
おかげで自分はサッパリしますから、いっぱい邪気が溜まった塩には成仏してもらうつもりで、捨てましょう。
凝縮してるから、邪気ってどんな感じか分かるよ笑
間違っても、使った後の塩食べないで下さいね!!
余剰エネルギーの分散体操
「青春」「思春期」というだけあって、思春期は人生の中で大きな春の変動を迎える時期です。
晴哉さんの本の中に『思春期』というのがあって、性のエネルギーがどう変形するのか分かっておもしろいのですが、思春期だけでなく、毎年春にも似た変動が起こるので、この時期に読むと、色々実感できて腑に落ちると思います。
体癖というのも性のエネルギーの変形ですから、仕組みを理解するのに役立ちますし、めちゃくちゃ面白いので、ぜひ読んでみて下さいね!
その中に「余剰エネルギーの分散体操」というのが載っています。
色々な変動が激しく起こるのは、余剰エネルギーが過剰なのが原因ですから、余分なエネルギーを抜いておくことが、爆発や暴走を防ぐことに繋がります。
また、自分が病気だとか弱いと思っていても、潜在体力が潜んでいる人はこれをやると元気になります。
というのも、お尻が下がると、エネルギーが抑圧されて発散できず、内攻しやすくなるんだと思うんですが、この体操をしてお尻が上がると、明るく爽やかな感じが戻って行動的になります。
疲れやすい、小さなことが気になる、鬱々とする、イライラする、引きこもる、不安、自分がなにをやりたいのか分からないって方から、
いっそ露出狂になってしまいたいって方まで、
春の変動で再起不能なまでにやらかさないための嗜みとしてやっておいて下さい。
春は、自然と異性に興味が出るのが健全ですが、全く出ないとか、出過ぎる場合は、ほとんどはエネルギーが内攻してるか、余りすぎてるかです。
ある程度の幻想や間違いがないと種族が発展しませんから良いとして、見境がつかないくらいに余ってると、変な誘惑に引っかかってしまいます。
判断力がなくなってる方にもおすすめです。
①足を腸骨の幅に開いて、踵をひいて膝を曲げる。
②息を吐きながら上げ、上げる高さは足が床から三センチ、二呼吸以上(何呼吸でもかまわない。沢山余っている人は長く、少ない人は短い)耐える。
③吐きながらユックリ静かに足を元の位置に下ろす。
④もう一度息を吐きながら上げ、一呼吸で吐き切った瞬間急に落とす。そしてそのままの姿勢で、自ずから生ずる深い呼吸が終わるまで、体を弛めたまま保つ。
これが一番消耗する。見ていると何でもないようですが、やってみるとなかなか大変で、余分なエネルギーは消耗して、当分何も考えなくなる。
・・・
足をストンと落とすと、深い呼吸が起こる、しかし呼吸が静かになるまでそのままの位置で動かさない。静かになって足を伸ばした時、足の力が抜けていたら成功です。もし足に力が入っていたらもう一回やる。
この体操は余分なエネルギーを一部分だけ急速に分散させる体操です。これをやるとイライラしなくなる。
これをやって十五分くらいすると、体の中に行動する意欲が起こってくる。自発的に何かやりたくなる。意欲のない者に意欲が起こってくる。それは余分なエネルギーを随意筋に振り向けたからです。だからエネルギーの分散体操というより、想像力を誘い出す体操とでもいうべきものです。
野口晴哉『思春期』
*この体操は晴哉さんが、高橋迪雄さんの正體術からパクったものですが、実践者の方によると、足を上げる時に、足の趾を反らせるのがコツだそうです。そうすると腰が決まります。①の踵を引く角度は余計な力を入れずにスッと曲げて自然と止まる位置(お尻に寄せすぎない)。ピタッとくれば骨盤が自然と後傾して腰が床に沈みます。
いくらでもできるんだけどー!
どんだけ余ってんのかなウケる
この体操をすると、余分な過剰エネルギーが抜けますので、正気に戻りやすくなります。
例えば、惹かれる人やものがあった時に、自分の感情や行動が、単なる過剰エネルギーの暴走なのか、つまり発散できるなら誰でも・なんでも良いのか、本当に遇ってるのかが、分かりやすくなります。
春はエネルギーが旺盛になるのが自然ですが、
発散のためだけなら体操が無難ですね。
大切な自分の時間×エネルギー、すなわち命ですから、
毀誉褒貶、好き嫌い、勝ち負け、愛憎、損得、そういったものを超えてなお、やりたいことなのか、付き合いたい人なのかを、見極める必要があります。
体が整うと、自分に遇う人が見つかるし、自分に遇う人といると体が整います。
潜在意識教育としては「〇〇さんと結ばれますように」とかより「自分に遇う人と出逢えますように」みたいな願い方がいいようですよ。
自分に遇う人というのは、一緒にいると、自分らしく活き活きといられる人だと思います。
お互いにエネルギーの集散がスムーズな状態=健康でいられるといいですね。
罪悪感を感じて「ああしなきゃこうしなきゃ」と思ったり、その人のためになにかするのが疲れたら、関係にアンバランス=偏り疲労が続いてます。喧嘩も風邪と同じですから、怒りたい時はバッと怒って、泣きたい時はワ―っと泣いて、ちょこちょこやっておいた方が不満が溜まらず、関係が新しくなります。
怒り来らば怒り 悲しみあらば悲しみ そのめぐるものめぐるが如く
野口晴哉
めぐらして息乱すこと無きは全生の人也
壊す力があるから、新しく創る力も出る。
言いたいことも言えないとか、どうせ言っても無駄と諦めるようになったら、無病病と同じで、表面的には波風は立たなくなりますが、それは鈍りです。
風邪と同じで、喧嘩できるうちが敏感で、もちろん喧嘩になる前に調整できるのが一番ですが、さっと喧嘩してさっと仲直りできるくらいがいいですね。風邪同様、上手に経過すると、その後、生まれ変わったような潑溂とした感じがありますが、自分に嘘をついて我慢したり、早く修復しようと焦るなど、意識的な工夫を凝らすと、経過を乱します。
婚活も、人間を「スペック」でしか見れないとか、誰と会ってもときめきがないというのは、鈍ってる証拠ですから、まずはきちっと体を整えて、自分に遇う異性には敏感に反応するような体を取り戻すのが先決です。
お化粧が濃いというか、人工香料的な魅力をくっつけてる人もいるから、気をつけたいですね。マーケティングと同じで、そういうのを身に着ければモテるようにはなるかもしれないけど、自分に遇う人は見つかりにくくなるかもなぁ。着飾ったものに集まってくる人たちは、すぐ消える。幻想を維持するのは疲れるし、身嗜みを整えるくらいにしといた方が無理がないかも?
活元運動
活元運動はいつでもやるといいですが、春もいいですね。
波が大きくなって荒れている時でも、静かな感じに戻れるし、ふわーっとした波に乗るのも気持ち良い。
人工的なもの、作為に違和感を感じられるようになるし、自分の欲求がはっきりとしてきます。
整体操法
整体は、体を耕していくみたいなところがありますが、
1年整えながら耕してきた収穫の時期が春と言われているくらい、春は体が変わりやすいです。
操法を受けるのも、春は1年で一番変わりやすい時期ですから、不調の出やすい方は特に、少し頻繁に通われてみるのもいいかもしれません。
あらかじめつっかえてる石をどかしたりして、スムーズな流れができるように整えるのが、表面的に行ってることのように見えますが、
本物の操法は、私にはよく分かりません。
ただ整体は相互の感応によって成り立つもの。
だから「先生のおかげで良くなりました!ありがとうございます!」って言われて良い気になるのは、終わった後に「良かった?」とか、食べた後に「美味しかった?」って聞かなきゃ不安な心理に似てると思う。
痛みがとれたとか、病気が治ったとかいうのは、きっかけとして必要なことはあるけど、最終的には割とどうでもいいことで、
本人が自分の力を自覚して、全力を発揮できるようになることが目標です。
個人的な経験としては、だれかにやってもらったことって、ぶっ壊しちゃうんですよね。
結局同じとこに戻ってきたりはするんだけど、自分で積み直さないと気が済まないのかな?
みんな壊れるのを怖がるけど、沈み切れば浮かぶしかないのが波だし、その振り幅が弾力ということ。
彊く育てるならば、自分の不安で人を縛らない。
発育にはコースがありますが、やりそこねたものはどこかでまた機会が巡ってきて、自力で経過すると丈夫になります。
老婆親切は甘えて本人の成長を遅らせるし、余分は慎む必要があります。
なにを観るか。
反抗は独立の要求と観て、スパッと手放す。
自発的に生きていれば、それが感応する。
意識とは関係なく行われる潜在意識教育が為されてこそ、整体ではないかという気がしています。
自然とやっちゃうのはいいけど、無理にやってあげなくても大丈夫。
その分本人の力になります。
自発のみが自然。それ以外は余分。しかし不満は意欲になるから悪くない。
やってもらうより自分でやる方がおもしろいし、
教えてもらうより、自分で発見する方が愉しい。
人間の価値は、その自発的行動にある。
野口晴哉
教育の目標は、自発性を養うことにある。
自発の行為だけが、人間の自然の動きである。
まとめ
いかがでしたか?
こういう長文も過剰エネルギーの発散でやってるだけですから、マジメに読まないで下さいね。
夫れ知る者は言はず、言ふ者は知らず、故に聖人は不言の教を行ふ。
『荘子』知北遊第二十二 口語訳
道は致す可からず、德は至る可からず、仁は為す可きなり、
義は虧く可きなり、禮は相偽るなり。
多くを語るのは分かってないと公表してるようなもの
整体や体癖を学びたい人は、野口晴哉さんの本を読んで、自分で観察して下さい。
当然ですが、体癖の本だけでなく。
その晴哉さんは「師匠は活元運動だけ」と言っています。
技術以前の心が分からなければ、技術は本当には使えないと思います。
分からなくても少しずつ観察・実践していきましょう。
続けるほどに、実感できることが増えてきます。
それでは、おもしろい変動が出やすい春ですが、心地よくお過ごし下さい。
わがままに徹すること、それによってしか責任をもつことはできない。
自分の感じている一番大事なものが、他人に通じようが通じまいがそれは二の次のことだ。
他に通じさせようとする一切の妥協、卑劣なおもねり、愚劣なサービス精神は、自らを損なうだけでなく、相手を侮辱し愚弄する以外の何ものでもない。
自分が今、ここで、ほんとうにやりたいことをしていること、それ以外の別の所に、自分のいのちがあるはずがない。
この生々しい強烈ないのちの火花だけが、相手の中に新しく何事かを起こし得る唯一のものであろう。
ほんとうはやりたくないことを、自分がやるべきことであるかのように偽って、やむを得ないこととしてやることこそ、人間最大の罪悪ではないのか。
人類のために、国家社会のために、階級のために……。そんなことはみんな嘘っぱちだ。
人のためにということが偽りなのだ。
自分自身のために……それにてっすることこそ、ほんとうの生き方だ。
生きている人間の体(人間そのもの)は、その人が素直に受け入れようとしているときには、無意識、反射的にその刺激を全身で増幅して反応する傾向をもっているのである。
これと正反対の状態が、”石のように押し黙っている”状態である。
野口三千三『原初生命体としての人間』
コメント
奏さん、いつもありがとうございます。
愉氣や整体は官能に通じるとの表現に思い出したことがあります。
花瓶のピンクのチューリップをぼんやり眺めていて、美し過ぎて絵に描きたくなりジィーッと見つめていたのですがw、愉氣=絵を描く、メロディに起こしてみる、とかそういう芸術でもあるな…と。
全ては氣の交流だから、当然といえばそうなのですが。
いや〜、整体って、愉氣って、学び終わりがありません。。
たしかに芸術は、対象と一体化してそのエネルギーを表現するって趣がありますもんね。
絵を描いたり、メロディを起こすのが、愉氣というのも、繊細に感じ取って恍惚とする感じ、想像できます笑
面白いですよねー また気付いたことがあれば♡