おもしろ整体のKanadeです。
体癖は9種-4種-6種。
野口整体が大好きで、10年ほどハマっています。
整体協会(野口整体の本流)で学びましたが、指導者ではありません。整体を仰々しいものではなく、みんなが当たり前に活用できる知恵として興味をもっていただければと思い、活動しています。
ちょっと疲れた時に活元運動で自分を整えたり、風邪を上手に経過して丈夫になったり。
体癖を知ればお互いの違いが分かり、余計な摩擦を避けられるので、楽に生きられます。
体調が悪い時にお互い守り合う方法として、またなかなか言葉ではできないコミュニケーションとして、愉気し合えば「大切にされている」ことが実感でき、心と体が満ちてくるのが分かります。
大げさですが、みんなが整体を目指せば、もう少し社会も家庭も平和になるんじゃないかと思っています。
このページでは、どうして私が整体の道に至ったかの経緯と、野口整体との出会い、初めて活元運動をした時のこと、野口整体で変わったことを書いています。
人生のしくじりを整体的に分析してみる
9種というのはなかなか厄介な体癖で、とにかく「やりすぎ」が多いです。
思い込んだらとことんやる、という性格は長所になることもあれば短所になることも。
振り返ると、成功も失敗もやりすぎから起こってる気がします。
ここでは整体と関係がありそうな人生の「しくじり」を挙げてみます。
私みたいになるな!!
マニアックに書いてますが、要は野口整体に出会う前は体に合わない使い方をして体を壊していたけど、心と体の使い方を整えたら楽に生きられるようになりましたって話です。
風邪を引くたび薬漬けになった幼少期
私の祖父は開業医でした。
だから家には無尽蔵に薬がありました。
私は20歳になるまで、一度も薬を飲まずに風邪が治った記憶がありません。
ちょっと鼻水が出ただけでも薬、それも市販薬ではなくて病院で出される強い薬。熱が出れば解熱剤、下痢をすれば下痢止め、咳が出れば抗生物質は当たり前。
今でこそ、薬の副作用や代替医療の考え方も普及しつつありますが、当時は西洋医学全盛期。私の周りで薬や医学に疑問を持つ人はいませんでした。
風邪だけではなくインフルエンザや中耳炎、外耳炎、皮膚炎を繰り返し、その度に薬を飲んだり塗ったり。風邪は治らないしすぐぶり返す。1ヶ月咳が続くのは当たり前でした。
風邪は体の調整?
1番元気なはずの20歳頃が1番ひどくて、3ヶ月毎に1ヶ月間風邪をひいてるような有様。治ったと思ったらまた半月後に喉が痛くなるみたいな。。あまりに常時風邪をひいてるので、これでは何もできないと思って病院に通う以外の道はないかと模索していたところ、代替医療の本に出会いました。
たしかアンドルー・ワイル博士の『ナチュラル・メディスン』だったと思います。
体には自然に治る力が備わっている、という「自然治癒力」なる概念を初めて知りました。今では当たり前になりましたが、医者や薬の効果を疑いもしていなかった当時の私には衝撃的で、西洋医学は部分的な症状の改善を図る「対症療法」で歴史は浅く、それに対して古代ギリシア・ヒポクラテスの時代から人間全体を見る「ホリスティック」な考え方があるのだということを初めて知り、驚きました。
すっかり感化された私は、怯えながらも医者でもらう薬をやめてみたのです。
それまでは風邪が治らなければ、薬を強くしていました。色んな薬を試しました。それでも全然治らなかった。
それを全く飲まずに治るなんてありえない!
、、という不安を抱えつつ、、とにかくやってみた。
結果。。
すぐ治るやん!!
私の20年なんやったんや!
まぁすぐと言っても、人並みなんですが。薬をやめてから、明らかに風邪を引く頻度が減って、治りも圧倒的に早くなりました。。
飽くまで個人的な経験ですよ。薬が絶対ダメと言ってるわけではなくて、私は飲みすぎのせいで体調を崩していた実感が強いので、それ以来信用しなくなったというだけの話です。
野口整体に出会うのはまだ先ですが、整体では、風邪は「偏り疲労の調整」だと考えます。
例えば汗を冷やして引っ込めると体がねじれますが、風邪をひくと熱が出て、汗が出て、風邪が抜ける頃には、体のねじれも整うことは観察していれば分かります。また風邪を引く前は背骨がガチガチになってたのが、治るときちんと弾力が戻ります。風邪が治った後って、なんかすっきりしませんか?この自然な経過を途中で乱すと、偏ったままになることがあります。
また子供の風邪は、成長の節目になると考えられていて、風邪をきちんと全うすると一回り成長して丈夫になることは、よく観察していれば気付くはずです。
だから整体では、風邪を引かないのが良いのではなくて、風邪も健康を保つ働きだから、きちんと経過することによって、体を整える機会になる、と考えます。
そう考えるとしょっちゅう風邪を引いてたのは、前の風邪の経過を乱したために調整できなかった部分を調整し直すためだったのかもしれません。もちろん単純に抗生物質などの飲み過ぎで免疫系統がダメージを受けてたってのもあるだろうけど。。
最近抗生物質の乱用が問題になってますよね。耐性菌ができて、本当に必要な時に効かなくなる可能性があるそうです。
祖父も母も良かれと思ってやってくれたことですが、親切が必ずしもその人の為になるとは限りません。
薬が必要なこともあるでしょうけど、安易に飲み過ぎると体調を乱す場合があるってことは意外と知られてないよね。子育てする人には特に知っておいてほしいよ。
いい思い出ですが、病気になると母が特別優しくて、好物の桃の缶詰を食べさせてくれたので、味をしめてたってのもあるかも?体癖6種は気を引きたくて病気になることもよくあるよ。「病人=得」を植え付けてないかな?
中学陸上部の根性教育で体がボロボロになる
中学時代の陸上部はなかなかの強豪で、毎日厳しい練習に明け暮れました。
中長距離選手だった私はひたすら走り続けていたのですが、ある時頑張っているのに、全くタイムが伸びないどころが、だんだん落ちていくという事態に。
根性が足りないのかと思って、努力すればするほど、体が言うことを聞かない。
今でも覚えているのは、校内のマラソン大会。気持ちでは走っているのに、全く足が上がらなくなり、ほとんど這った状態に。リタイアして送ってくれた先生の車の中でわんわん泣きました。
普通これが異常って分かりますよね。「体調が悪いから休む」と言えば済んだ話なのですが。。
9種は思い詰めると、やめられなくなるんですよねー
学校の健康診断で採血した結果、重度の貧血と栄養失調が判明。医者からは「よく立っていられたね」と言われたことが「認められた」気がして嬉しかった。
病気が重いと言われて嬉しいのはまさに病人の心理だね。体癖4種は自分の思ってることが言えなくて、他人に代弁してほしい。
病院に通って数ヶ月療養したら、元通り走れるようになりました。
毎回打つ大きな赤い鉄剤の注射を見るたび「ほら!こんなにひどかった!」と嬉しくなり、「病気のせいだった!」と大威張りで、みんなに心配してもらうのが快感でした。
4種のマゾヒスティックな集注要求です。
その頃は「頑張ること」や「根性」が身についたと思ってましたが、今となれば体を壊すような我慢を身につけることが教育かな?と思う。自分に合った体の使い方を身につけるのが体育だと思うし、そもそも「体育」なら体を育てるのが大事ですよね?
思春期の女の子がバキバキに割れるまで腹筋したり、生理中でも構わず走り込んだりすることが女性の体を育てるかな?
友達と苦楽を共にして楽しかったけど、タイムを数秒縮めるために競い合って大会で好成績を収めるのがそんなに大事なことだったのかな?と。
走るのは好きだったけど、走る楽しさより、辛さが大きくて、中学以来マラソンは嫌いになってしまいました。。
ひどい生理痛で練習を見学する子を「サボってる」と白い目で見たり、仲良しの友達をライバル視したり。やさしい心や女性らしい体より競争心や我慢強さ、言い換えれば鈍さを育てた気がします。
生理中は骨盤がスムーズに拡がるよう、無理せず経過することが大切です。男女平等は結構ですが、男女同質と勘違いして女性を男性と同じものとして扱うと、女性性が損なわれるように思います。(逆もしかり)
ブログでちょこちょこ出てくる前時代的な男女観は、もともとの自分の考えではなく、わりと先進的なジェンダーレスの環境で育った私の反省から来るものです。。
それはともかく、いちばん大切なのは「自分の要求に敏感になり、自発的に行動すること」。
自分の身を守ったり、体に合わないことは不快に感じて避けることができる柔軟性や勘を育てることが大切だと思います。
高校登山部でお尻を強打
高校は登山部で、とても楽しかったんですが「しくじり」と言えば、下山中、もう着くというところで気が抜けて転んでしまい、お尻を強く打ってしまいました。一瞬息ができなくなったのを覚えています。
整体では打撲を警戒します。表面的な傷より体に影響が残ることが多いからです。知っていればその場で愉気や活元運動でもして応急処置できたと思うけど、早く立たなきゃと思い、そのままにしていまいました。。
整体では当たり前でも、世間では全然知られていないことがたくさんあるよ。
悪いことを極めようとした大学時代
中学・高校と何事にも一生懸命打ち込み、忙しい日々を送っていたのですが、大学に入って自由になると、ふと気が抜けて、何をしたいのか分からなくなってしまいました。
色々意識で頑張りすぎてた反動かな?
それまでは与えられた目標に向かって走っていたけど、それがなくなってどこに向かえばいいか分からなくなったんです。人はゴールがないと迷走し、勢いがなくなります。
堕落を極めてみた結果うつになる
とりあえずこれまでは一生懸命やったから、今度は堕落を極めてみよう、と思ったんです。(迷走決定♡)
寝続ける。大食いをする。酒をひたすら飲んで吐く。朝まで遊ぶ。など。
こういう生活を続けるとどうなるかというと、、
本気でなんのやる気も起きなくなり、体調不良とうつ状態に悩まされます!
異常に風邪を引いていたのは上述の通りです。
またあまり知られていませんが「寝すぎ」の害というのは思いの外大きく、整体では二度寝すると後頭部がたるんで行動力がなくなる、と言います。当時の私はまさにそれで、二度寝どころか、昼間はずっとゴロゴロして夕方のそのそ起き出すみたいな生活で。。若い人が寝すぎるのは、性をたるませるためと言われてますが、有り余ったエネルギーの使い途がない時に寝過ぎるし、寝すぎて後頭部がたるむと腰がたるんで行動できなくなる、と言われています。ニートの方なんかも同様の問題があるのではと想像します。
当時の頭を触ってみたい。寝すぎてると後頭部の頭皮がブヨブヨになってつまめるようになるよ。頭皮は動くけどつまめないのが正常。
一旦こうなってしまうと、結構大変で整体を知ってれば頭を引き締めることもできたかもしれないけど、やる気が出ず行動もできず、完全に廃人と化していました。 最初は「やらない」だったのが、「できない」になってくると焦ります。
またこれまでは「頑張れば何でもできる!」と思っていたのですが、どうしても「頑張れない」時に失敗して「そんなこともできないのか!無能だな」などと言われると、ほんとに無能なんじゃないかと思えてきて、ますます自信がなくなりました。
体癖を知れば7種の口の悪さに悪気がないって分かるんですが、当時は「なんでそんなひどいこと言うんだろう」と本気で凹みました。他人からの褒め謗りに一喜一憂するのは自立してない証拠って言いますが。。
劣等感を覚えると何が起こるかと言うと、自分の声が聞こえなくなり、思考がフリーズします。人からどう見えるかとか、人はどう思うかばかりが気になって、頭が全く働かなくなる感覚。「うつ」というと気分の落ち込みとか意欲の低下、不安を思い浮かべますが、それに加えて私にとっては「自分の声が聞こえなくなる」ということが問題でした。
「こうしたい」とか「こう思う」とか普通なら常に色々浮かんでくると思うんですが、それが全然出てこなくなるから、どうしたらいいのか分からない。
ストレスで首の前側が緊張して吐き気がしました。胸鎖乳突筋の緊張は2種の特徴ですが、9種が調子が悪くなると2種的になると言われています。
まさにそんな感じで、自分がなくなって、他人に従順になってました。
表面的には楽しく遊んでたんですが、いつも自分じゃないような感覚があって。
堕ちるのは簡単だけど、上がるのは大変だね。それまでは親や学校のお陰で上手くいってただけで、自分自身の実力なんてこんなもんだと思い知ったよ。
宗教学を専攻して怪しい道へ
「宗教学」を専攻した理由は、1番役に立たなそうなのに、宗教のない文化はないから、きっと意味があるのだろう、と思ったからです。〇〇教に興味があったわけではなく、宗教を心理学的に考えてみたいと思いました。
私自身は特にどこかの宗派に属しているわけではありませんが、神秘的なことは好きだし、仏陀も好きで、迷った時は『法句経』(ブッダ自身の言葉も含まれると言われる原始仏教の経典)を読むようにしています。
ひと若し
こころつつましく
善を行ずる賢者を
友に得ば
すべての危難に克ち
よろこび深く
共に往くべし
ひと若し
心つつましき
善を行ずる賢者を
友に得ずば
克ち得た領土を
棄つる王のごとく
ひとり行くべし
かの林中の象のごとく
ひとり行くべし
法句経 友松円諦 訳
あまり知られていませんが、ブッダが言ってるのは、どんな考え方をしたら心が整うか、という簡単な教えで、現代でも通用するものが多いです。
2500年前から語り継がれて、今でも「なるほどー」と思うということは、生きる智慧と言って良いのでないかと。
日本ではGHQの戦後教育と、一部のカルト宗教のせいで宗教全体のイメージが悪くなったこともあり、嫌煙する人が多いですが、今の社会を見ると、もう少し宗教的な情操というか智慧を育ててもいいのかな、と感じます。
感覚ですが、宗教(信)には主観、つながり、受容、曖昧さ、温かさを感じるのに対し、科学(知)には客観、切り分け、疑い、正確性、冷たさを感じます。客観というのは常に「比較」を伴いますから、幸せを感じるのは難しい。どちらも大切ですが今は知識偏重で不安定になってる人が多いようです。
とはいえ「信は知に先行し、知は信に基づく(宇都宮輝夫)」し、本物の科学は信から始まることしかできない。また科学教信者も多い。結局「っぽい」だけでほんとはあんまり区別はないのかも?
「幽霊はいる」って言い切る人と「幽霊はいない」って言い切る人はどちらも信念が強いと思いませんか?だって「分からない」が科学的な態度ですよね。前者は押し付けがなければ面白いだけであんまり害はないけど、後者はたいがい自分は科学的な人間だと思い込んでて実は単に頭が硬いだけなので、タチが悪い。
「気」の話になると、「そんなもんない」と言い切る方!「私は感じたことがない」とか「理解できない」と言うのが誠実な態度というものでしょう。他人の信仰を尊重するとはそういうことです。(と思うのは多神教ならでは?)ちなみに私は幽霊に関しては「気」のせいだと思っています。
話がそれましたが、
ブッダも「結局自分しか頼るものはないから、自分を整えておくことが大事だよ」と言ってますが、知識というのはいざという時にあまり役に立ちません。
心と体を整えておこう。
大学時代に読んだ本の中で印象に残ってるのは、アウシュヴィッツを生き抜いた精神科医ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』で、「いい人から死んでいった」というのは今でもたまに思い出します。「極限状態で人の本性が表れる」みたいな記述があったと思うけど、「体癖はとっさの時に表れる」のと似てますね。
ユングや河合隼雄も面白かった。
憑依とかシャーマニズムが興味深くて、クラブで踊り狂ってる時に普通の意識じゃなくなるのも「変性意識状態」というのか、と知ったり。
前述の件から、代替医療系の本もよく読みました。
卒論のテーマは『癒やしと宗教』で、祈りの効用とか、予言の自己成就とか、書いた気がします。要は、祈ったら脳に目標がセットされるから、叶いやすくなるし、そういう宗教のシステムってめっちゃ合理的じゃない?思い込んだら、実際そうなることが多いから「奇跡」が起こることがある。でもそれって、意識じゃできなくて、普通じゃない「宗教的な」意識の時に起こるよね、って話だったような。
どうして宗教があるかと問われれば、宗教があった方が「生きやすい」し「死にやすい」っていうシンプルな理由。
宗教、特に身体感覚を伴った信仰は、人間を大きく動かす可能性があるので、慎重に扱う必要があることは感じます。そのため教団を形成したり戒律を厳しくしたり教義を秘伝にするのでしょう。(それが逆に問題を引き起こしてる面もありますが。。)
カルト宗教というのはそういう生理的な現象を悪用しているわけですが、信仰心と身体感覚と悪用をごっちゃにするから「宗教?こわ~」となるわけで、本来信仰心は美しいものだと思うし、宗教的な身体感覚は信仰がなくても感じられるし、こわいのは主に悪用です。上手に付き合えるといいですね。(とはいえ、信仰を利用すると人心掌握が容易になるので古今東西宗教は権力、お金、政治と結びついて社会を動かしていますし、色んな側面はありますが、ここでは原始的な宗教感覚の話にとどめます)
論理的な思考は頭だけで行われるのに対して、信じる気持ちは体と繋がりが深い?何もしてなかったと思ってたけど、今思い返せば思想の土台はこの時作られてるかも?
一般道を逸れてしまったのは間違いないね!
健康オタクの痛い人に
あまりに体調が悪かったので色んな健康法を試しました。何がいいか分からないから、とりあえず目についたものを。
- アロマ
- ハーブティ
- 操体法
- アレクサンダー・テクニーク
- ナチュラル・ハイジーン
- 毎日着物で過ごす
- ゆる体操
- ヨガ
- ピラティス
など。 ナチュラルハイジーンは合わなかったけど、他はそれぞれ良いところがありました。
お風呂上がりに冷水をかぶる愚行
その中で小山内博という医師が提唱していた「お風呂上がりに冷水をかぶる」という健康法があって、アトピーや皮膚病が治る!と書いてあったので、やってみることにしました。
その頃、頻繁に蕁麻疹が出ていたので、実験にはちょうど良かったのです。
するとほんとに一発で蕁麻疹が止まったので、これはすごいと思って、毎日続けました。
実はこれ、整体的にみると最悪で、汗を冷やして引っ込めるのは腎臓に負担がかかって、腰がねじれます。
蕁麻疹が出なくなる代わりに、生理痛がひどくなった気が。(腎臓と卵巣、骨盤の開閉は関係しています。冷やすのは良くないと言われてますが、特に生理中は冷やすと骨盤の開閉がスムーズに行かず、生理痛が起こります)
さらに「水かぶり」をやり出してから、全然風邪を引けなくなってしまいました。実際この健康法をやると病欠が少なくなるというデータも出てきてるようです。一般には「風邪を引かない=良いこと」と考えられているので、宣伝のためにそういうデータが使われているわけですが、風邪はひかないけど、突然バタッとくる病気に気をつけた方がいいと思います。
蕁麻疹が出なくなったのは、体が良くなったんじゃなくて、体が鈍くなって出せなくなったとも考えられるね。
小山内博さんご自身は人柄も良心的で、心底みんなの健康を願っていたと思います。お医者さんも「健康になってほしい」「よくなってほしい」という気持ちでやってる方がほとんどじゃないでしょうか?
ただどうしても近現代医学は、生きた人間の観察が雑な感じがします。発想は「無病=症状が出ないこと」が目標。例えば何か「治療」をした後に、その悪かったところがなくなったり検査結果が平均値に近くなれば「良くなった」と言うかもしれないけど、整体ではその人の「背骨の弾力が出る」とか「丹田に力が満ちる」ことを「良くなった」と言います。例えば水かぶりを続けた後は、背骨がねじれたり硬くなっていたはずです。同様に「手術後」や「処置後」はどうでしょう?その部位だけでなく、全体の観察や調整があってもいいと思うのですが。
科学的な医学を否定してるわけではありません。向き不向き、得意不得意の話です。
と言っておかないと異端は迫害されますからね。
簡単な変動は自分や身近な人同士でケアし合って、どうしてもって時に病院に行くくらいがちょうどいいかも?
野口整体との出会い
色々な民間療法を試す内に、野口整体と出会いました。
『整体入門』を読んだけど意味が分からず1年放置
古本屋で偶然手に取った『整体入門』。なんか胡散臭いな、と思いながらも買ってみました。
最初に読んだ時のことは何も覚えていません。
そのまま放置していました。
一年後になんとなくもう一度読んでみたんです。
すると、、
なにこれ!?天才か!!
これほんとやったら、コペルニクス的転回やろ!!
たぶん野口先生の話って、文章が平易で当たり前にしゃべるので、大したこと言ってるようには聞こえないんです。だから、「へー」「ふーん」となって、よく意味や凄さが分からないかもしれない。「こんなにすごいよ!」と分かりやすく話せばその時は「すごい!」と意識で受け止めますが、意識してる時だけ。逆に当たり前に話すと無意識に入るから、その時分からなくても、分かるべき時に分かるのだと思う。
一回読んで、忘れたと思っていたけど、無意識には入っていて、ずっとどこかで考えていて、もう一度読んだ時に意識レベルで理解した、という感じ。
初めて活元運動をやってみたらすごいことに
本の説明通り活元運動をやってみました。
すると、、
やばい!!なんやこれ!?止まらん!
家中転げ回って、大変なことに!
活元運動は必要な動きが出ると言われているので、相当溜まってたんだと思います。
ほんとに自分がやってる動きにびっくりしました。だって、見たこともやったこともない動きが尋常じゃなく出てきて、意識はあるけど、体は意識と全然関係なく動くんだもん!
とりあえず本を全部読んでみた
活元運動のインパクトが凄すぎて、俄然興味が湧いたので、とりあえず出版されてる本は全部買って読んでみました。
野口晴哉先生と奥様の本合わせて30冊くらい出てますが、片っ端から。
1年位は本を読みつつ、一人で活元運動を続けました。
思い込みの激しさと、やることが徹底的なのは体癖9種です。
野口晴哉先生の本は頭では簡単に理解できるけど、本当にわかるには自分で実践していくしかないと思います。私もその途中です。
整体協会に入会した
本を読んで、より興味を持ったので、整体協会に入会しました。
整体協会は昭和三十一年、故野口晴哉によって設立され、文部科学省(旧文部省)から社団法人として認可を受けた体育団体です。
活元会や愉気の会は楽しかったです。本部の故野口裕介先生(二代目・晴哉先生の三男)の会には幾度となく参加させていただきました。
でも同世代の方はほとんどおらず、ちょっと寂しいなと感じました。若い方の中には、おばあちゃんの代からの会員さんで、お腹にいる時から愉気を受けてました、なんていういわゆる「整体っ子」も多いです。
子供の頃から「整体の常識」で育つと、どうしても世間の常識とは違うから、大変な思いをする方もいらっしゃるようですが、薬漬けで育った私からすると(苦笑)、やはり憧れるものはあります。(伸び伸び育ててもらったので、病気に関して以外はもともと整体的な家庭でしたが)整体っ子の特徴としては、体がみちっとして充実している、弾力があるという印象。
最初に個人指導をお願いしていた先生がお亡くなりになってから、自分に合った指導室を求めて、色々な先生の活元会に参加しました。そのような中、機関紙に載っていたある先生のお話がとても興味深くて、その先生に指導をお願いするようになりました。
先生はご自身でも研究を進めておられ、体癖の気の方向の観方などは先生から習いました。
まだまだ未熟な自分がこの活動を始めたのは「整体の面白さを知ってほしい」という気持ちと晴哉先生の後押しからです。
人間の価値は、その自発的行動にある。
自分が至らないから、まだ人を救えないとか、教えられないとかいう人があるが、至った人間など昔から一人もない。 ただ至らないままに人を導き、教え、救っていると、だんだん至る道に近づいてゆく。
自分のための逃げ道を、一切自分で閉ざしてしまうことだけが、弱い人を強くする。そして自分で自分に言訳するような、自分に対する見栄をかなぐり捨て、裡の力で行動すれば、その一挙手一投足は逞しい人間を造ってゆく。
『風声明語』
できる時にできることをすればいいかな、と。
野口整体で変わったこと
活元運動の反応だったのかな?と思うこと
活元運動をやっていくと「反応」があって、風邪のような症状が出たり、昔の怪我の痛みが浮いてくることがあると言われています。
私の場合、それほど明瞭な反応が出たわけではないのですが、一時期、昔の嫌だった感情や押し殺していた怒りがどんどん浮かんで「キー!」となっていたことがあります。
こういう時は全然利害関係のない人に愚痴を聞いてもらうとか、日記を書くとかして嫌な感情を全部出してしまうのがスムーズに経過する方法かなと思います。それを経過と分からないと、「どうしてこんなに嫌な気持ちになるんだろう」と余計に抑えてしまうかもしれないし、身内に当たると顰蹙を買います。
昔の感情の掃除だと思って、出し切るのが大事。私は身内に当たって顰蹙を買いましたが、、ただ聞いてもらえる関係を作っておくといいですね。
心の緊張は体の緊張に直結します。例えば「あ、怒られる」と思った瞬間に鳩尾は硬くなるし(整体では鳩尾がゆるんで丹田に力があるのが、いい状態と考えます)、嫌な人が近づいてきたら呼吸が浅くなります。
普段忘れていても、「嫌だな」と思って我慢していたことが、体の緊張として残っていることがあって、体がゆるむとその緊張ができた時の感情が蘇ってくるんじゃないかと思っています。
感情をためないようになった
9種はなんでも隠すし、4種はニコニコしてるし「嫌だな」と思っても相手は気付いてない場合が多かったと思います。
自分がその場で我慢をすれば済む問題だと思っていましたが、やはり嫌な気持ちは体に残ります。
愚痴がちゃんと言える人はそれで解消してるのだと思いますが、私は愚痴というものをあまり言えません。
そこでなるべく嫌なことはその場で言うことにしました。礼儀として相手が受け入れやすい態度で、自分にも相手にも緊張が残らないように心がけています。
ヒステリックに爆発する前に、素直に言う。相手を責めない。
風邪が楽しみになった
あんなに嫌だった風邪が楽しみになりました(笑)
楽しみになるとあんまり引かなくなるんですよね。。
でもたまに高熱など出すと「おぉ!39℃いった♡♡」と密かに嬉しい。
風邪を観察すると面白いですよ。
冷えた時にひく泌尿器の風邪は足湯、呼吸器の風邪なら目や首、熱なら後頭部、などそれぞれの風邪の急所を知っておくと、自分の風邪を安心してみていられるのでスムーズに経過することが多いです。周りに「大変だ大変だ!」と騒ぐ人がいると経過が乱れる。慎みたいものです。
風邪を引いた後はさっぱりするので、定期的にひきたいのですが、風邪を目の敵にする風潮があるのでなかなか肩身が狭いです。
昔の体調不良や気分の落ち込みもだんだんなくなってきましたよ
素直になった?子供に戻った?
こうしたい、ああしたい、これは嫌、あれは好き。みたいな要求が素直に出るようになった気がします。
整体では「天心」がいいと言われてますが、たしかに余計な気張りが抜けて、だんだん子供に戻ってきたような。。自分に戻ってきたような感じがあります。
活元運動はポカーンとするとといいんですが、何人かでやると子供の時に遊んでいた無邪気な感覚、何もないけど笑えてくるみたいな感覚になることがあります。
大人にならなきゃいけない場面もあると思いますが、たまには童心に帰りたいですよね。
柔軟になった
絶対〇〇しなきゃ。許せない!みたいのが減って「まぁしょうがないか」と思えるようになりました。
活元運動をやってるからか、体が柔軟になって動きもスムーズになった気もします。
体の柔軟性にともなって、心にも余裕が生まれた気が。
体癖を知って、独自の見方ができるように
体癖を知ると、世界が見えやすくなります。
理不尽に見えることも大体はエネルギーの平衡要求と体癖で説明ができるので、自分なりの見方ができるようになりました。
体癖を通して人はもちろん、歴史や文化を見ると、面白いです。
人間関係が楽になった
「なんであの人はいつもああなんだろう」「なんでいつも自分はこうなんだろう」
という悩みが体癖を知って減りました。
劣等感は比較によって起こりますが、人は自分とは違うし「体癖だから、しゃーない」と思って諦めると楽です。
「なんで〇〇なんだろう」とそのことに集中していると、そこばかり見て認めるので定着させてしまいます。だからなるべく嫌なことは気にしないのが合理的です。
「体癖だから」という理由が分かればそれ以上考えなくて済みます。
「なんで!?」と悪いところに集中していたエネルギーを 「体癖だからしょうがないけど、その元にはこういう気持ちがあるんだろうな」と相手の要求を認めて満たす方向に使えば、関係は落ち着きます。
短所や失敗は「しゃーない」とさらっと流して、いいとこを見て認めていると、その方向に伸びる。
また体癖に合わせた伝え方をすると、人間関係がスムーズに運びやすくなります。
なんとなくうまくいく?
なんとなくうまくいくようになった気がします。
気張らず自然に任せていると、自分に合うことがやってくる感じがします。
さらに関わった方がなんとなくうまくいってる気がします。すぐにではないんですが、散々だった人が久しぶりに会うと幸せそうにしてることが多いです。
こう書くとスピリチュアルに聞こえますが、「なるようにしかならない」と思っていた方が頑張って、もがいているより上手くいく気が。
不安になった時や困った時は活元運動をやって最後息を下っ腹に飲み込む時に「ウーム大丈夫」とやっておくと、安定する気がします。
体調が良くなった
あまり気付いてなかったけど今思い返してみると、そういえば体調が随分良くなりました。
- 風邪が軽くなった
- 高校時代からの肩こりや腰痛が軽くなった
- 一時期、半年に一回はなっていたぎっくり腰をしなくなった
- しょっちゅう起こしていた首の寝違いがめったになくなった
- 日中、必要以上に眠くなくなった
- 生理痛がほとんどなくなった
- 慢性的なだるさがなくなった
- 小学生から乾燥肌で保湿が欠かせなかったが、何も塗らなくても潤うようになった
- アレルギー性鼻炎がなくなった
- 呼吸が深くなった
ちょこちょこ痛いところや不調は出ますが、そういう時は調整のいい機会だと思っているとスムーズに経過する気がします。昔無理をしていた名残はありますが、少しづつ弾力が戻っているように感じます。
まとめ
いかがでしたか?
野口整体は速攻で何か変わることもあれば、私のようにじわじわなんとなく変わることもあり、それぞれです。華々しい体験談をお持ちの方もいらっしゃいますが、「そういえば」「いつの間にか」って聞くことも多いです。
変わる、というより自然に戻る、という感じでしょうか?
一つ一つ小さな氷が溶けるような感覚。
私もまだまだですが、随分生きやすくなったことは確かです。
一人でも多くの方に整体の知恵を使っていただければ幸いです。
コメント
Kanadeさん、実は私も20年間処方箋を飲んで雪だるま式に体調を崩した経験があります。2年前から薬をやめ、東洋医学の知識と呼吸法を始めました。西洋医学は緊急の短期的な処置には向いているかもしれませんが、長期的には非常に怖いと感じます。
こちらでKanadeさんの個人史を一通り拝見しましたが、「4種の自分の気持ちがわからない〜激しい運動で貧血・栄養失調〜前時代的な男女観〜7種に凹む〜うつ〜宗教・心理学にのめりこむ」など、自分とかぶりすぎて、途中「何コレ怖い( ゚д゚;)」ってなりました笑。私は2種は入ってませんが、2種が理解できる気がするのは、「9種が調子が悪くなると2種的になる」からなんでしょうかね。また7種に対し、「なぜそんなことを言われるのか本気でわからない!」と悩む経験を何度かしましたが、同じねじれ同士なら瞬時に相手の意図を読み取って「はは〜ん」って思うんでしょうか?
冷水浴びは私もやっていましたが(私の場合は朝)、どうも女性がやるのは身体的に違う気がして、やめてしまいました。朝だろうがお風呂上がりだろうが、やはり女性には良くないのでしょうか?(個人的な水浴び後の感覚として、9種がやるとよけい骨盤が閉まり緊張感に磨きがかかり過ぎる気がし、また4種的にも冷水で引きしまって細くなりすぎる気がして、「う〜ん、これは続けていいものか??」と悩みました)
最近はロックダウンのせいで、すっかり二度寝する癖がついてしまいました。こちらの記事のおかげで、二度寝が体に悪いことを知り、明日からきっちり起きる決心ができました笑。ありがとうございます。
サイゴンさん、
コメントありがとうございます。
そうだったのですね。
私も病院に通って薬を飲んでいた時は何の疑問も持たなかったし、まさか薬が原因で体調を崩してたなんて夢にも思っていませんでした。
仰るとおり、緊急の処置として必要な場合もあると思いますが、自分の体に起こった現象の説明としては『風邪の効用』にある、症状自体が体を整える働きをしていて、その経過を全うせずに中断すると、偏りが調整されず次の不調を生むという考え方がしっくりきます。
なんとか両者の良いところを生かした統合医療ができないかな、と思っています。
え、そんなに被ってました?笑笑
本当に体癖が近いのでしょうね。体癖が同じだとびっくりするほど同じ感受性で同じ行動を取ったりします笑
9種の2種化は結構多いので、気を付けないとですよね。。
9種本来の自発性みたいなものが全く出てこなくなって辛い思いをします。
同じねじれどうしだと、相手の意図を読み取るというより、相手の戦意を読み取って喧嘩になるのでは笑
瞬時に相手の意図を読み取って「はは~ん」と納得したい気持ちは、9種+4種の感受性でしょうね笑
え、冷水浴びまでやってたんですか?笑
あれは体を鈍らしてちょっとやそっとじゃ動じないための修行としてならいいのかもしれませんが、敏感さや弾力が失われやすいので、特に女性には合わないと感じます。
なんでも試してみるのはいいと思いますが、身体的に違う気がする、という感覚が大切です。
体癖的な分析も仰るとおりかと思います。
二度寝お気をつけ下さい~笑
Kanadeさん、ご返信ありがとうございます。
>症状自体が体を整える働きをしていて、その経過を全うせずに中断すると、偏りが調整されず次の不調を生む
これは20年間病気と薬で苦しんだ者としては、身に染みてわかる言葉です。全くその通りだと思います。
9種の2種化は辛いですよね。頭で考えてばかり、人に従ってばかりで、本当に9種本来の自発性がなくなります。最近やっと元気が出てきたので、自分が興味が湧くこと(直接的には人生の役に立たないこと^^; でも本当は一番人生で重要な部分だと9種的には思うこと)に没頭できるようになってきました。
>「はは~ん」と納得したい気持ちは、9種+4種の感受性でしょうね笑
確かに笑。こんなところでも体癖がバレますね。既にコードが違ってるというか笑
名越先生が3種と9種の直感の違いを話されていましたが、3種の直感は現実的で?(うろ覚え)9種は相手本人が気付いてないもっと奥の深い部分を観ようとするから、現実的な判断は3種の方がいいとかいうお話だったと思います。どうりで私はわけがわからなくて悩みましたよ^^;
冷水浴びは私がやると、なんだかどんどんギスギスしていくというか笑。修行的な意味合いがあったので続けたかったんですが、一般社会で生きていくにはあまりにも女性性がなくなりすぎる上(私の場合)、9種の緊張感が怖くなりすぎで。ともかく「身体的に違う気がする」という感覚は本当に大切ですね。心・身体では違和感を覚えても、頭がそれを打ち消してしまうことがよくあります。
ご返信いただいて、疑問だったことがスッキリしました!ありがとうございました。
丁寧に読みたい記事がまだまだたくさんあるのですが、ボリュームがあるので(素晴らしい!)亀の歩みです。これからもどうぞよろしくお願いします。
相互運動をした後に踊る…なるほど!いいアイデアですね!Kanadeさんとコラボしたら、いろいろ化学反応を起こしそうです。
私の教室では、「日本舞踊を通じた体づくり」を掲げていますが、「整体に基づく日本舞踊のお稽古」というのを目指せるなら、ライフワークになりますね。
最近、「俺の日本舞踊」というサイトでインタビューを受けました。ここでも野口整体について、少しですけどふれさせていただきました。
https://oreno-nihonbuyou.com/bando-minotomo/
末永くおつきあいくださいますよう、お願いいたします。
活元運動をしてから踊れば、体が整って丹田が満ちるので軸が決まりますし、踊りにも勢いが出るのではないかと思います。
「俺の日本舞踊」見ましたが全く同感です~
「日本舞踊を通じた体づくり」素敵ですね。
日本の所作は体を美しく鍛え、磨くものと思います。
整体を活用するなら、例えば踊りでなにか癖を直したい時に、つかえている背骨に手を触れながらやってみたら、楽に直ることがあるかもしれません。腰が入り末端が中心とつながると美しいのですが、つかえがあるとそこからの動きになってしまうので。
そんなことを研究しながらお稽古するのも楽しいかもしれませんね。
活元運動や愉気をやり合ってからならすごく和やかなお稽古になりそうです。
楽しみにしています(*^^*)
Kanadeさん、こんにちは。私は15年くらい前に野口整体と出会い、今50代後半。体癖は2種、3種、7種です。職業は、1年前まで会社員をしていましたが、今は日本舞踊教室を開いています。コロナで苦労しておりますが。
野口整体について、やっと面白いブログに出会えました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。
私も一番初めに、活元運動がすごく出ました。野口整体の深いところが大好きです。去年、ロルフィングに浮気しましたが、世界中で同じようなアプローチがあることが嬉しくなりました。
自分の教室のHPのブログに、「からだを整える」というカテゴリーをもうけ、ときどき整体っぽい話も書いております。
“繊細さん”(HSP)でも大丈夫~身体を整えるヒント
https://minotomo-bando.com/training/
手の癒やす力について考える~人間が昔から持っているのに今忘れつつあるもの
https://minotomo-bando.com/care/
これからもときどきKanadeさんのブログをおたずねしたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
坂東三乃智さん、こんにちは。
コメントありがとうございます!
ブログ拝見しました~日本舞踊素敵ですね。
私も伝統文化が好きなので、共感する部分が多かったです!
ロルフィング、同じ人間なので同じようなアプローチになるんですかね(^^)
野口整体も、ご自身の体調の波を読んで実践してらっしゃってすごいと思いました!
愉気、当たり前の嗜みとして広まるといいですね。
体癖は7種はありそうですが、2種と3種はどうでしょう。
もしよろしければ、トレードでの体癖診断はいかがですか?
以前1年ほど着物で四六時中過ごしたことがあったのですが、着付けは自己流だったのでいつか習ってみたいと思っていました。
(活元運動してたら破れてしまい、日常的には着なくなったのですが^^;)
日本舞踊はやったことがないですが、踊りが好きなので興味があります。
相互運動をやったあとに、一緒に踊ると息が一つになって、とても楽しいのではないかと想像します。
帰国したら、着付け&レッスンを1回分お願いできませんか?
ご興味がありましたら、体癖チェックのページのラインから友達追加してご連絡いただければと思います。
ブログの方もどうぞよろしくお願いいたします(^^)