野口整体に伝わる「生きるか死ぬか?」見分ける7つの方法

noto 整体

野口整体には「生きるか死ぬか」見分ける方法が伝わっています。

病気や怪我、事故や災害などの緊急時には、「大丈夫かな?」と不安になりますよね。

私は地元が金沢なのですが、お正月はインドにおり、地震のニュースを見たときは驚きました。

妹一家が能登に住んでいるのですが、お正月は実家の金沢に帰省していて、非常に激しい揺れがあった後、両親とともに津波の心配から山の方へ避難したそうです。

そんな時、どういう行動をとるかで、生死を分けることがあります。

情報が届かなかったり、錯綜している場合には、自分の勘だけが頼りになることも。

勘というのは、頭での推論というより、体が感じる兆候に近いものと思います。

このページでは、その「なんとなく」の勘を「勘」に終わらせず、分かりやすい形で表現している体の観察法をお伝えしたいと思います。

ぜひこの機会に身に着けて、いざという時に使えるようにしておいて下さいね!

禁点の硬結

野口整体の本を読んでいると、たまに「禁点の硬結」というのが出てきます。

私は、実際に触れたことがないので詳しいことは分かりませんが、

みぞおちの剣状突起の裏?に米粒の半分くらいの冷たいガラスのような硬結(硬い塊)ができると、4日目に死ぬというものです。

*みぞおち、剣状突起周辺は非常にデリケートな部分ですから、探そうとしてグリグリ押したりするのはやめてくださいね。普段からそーっとみぞおちに愉気していれば、異変があった時には気付くのではないかと思います。なんでもそうですが、いきなりやろうとしても無理ですから、少しずつ感覚を磨いていきましょう。

中国の古い医学書『黄帝内経』に記述があるそうですが、晴哉先生は子供の頃からそこを見て「死ぬ」「死なない」を言い当てていたそうです。

禁点の硬結に関しては、老衰や病気の場合はそんなこともあるのかなぁ、という気もしますが、事故や自殺・他殺などでも出るそうで、これが出ると何をしても助からないから、手を出すなと言われます

なんで?

かは分かりませんが、とにかくそうなるみたい。

体は死を予知してるってことですよね。

「手を出すな」というのは、死ぬ人を生かすことはできないし、責任を持てないからです。

普段から観ている家族や親しい人を亡くなると知りながら、最期まで愉気するということはあると思います。

整体では、まず「生きるか死ぬか」を見ろ、と言われます。

「生きる」なら死なないし、死なないのなら良くなるようにできてるのだから、安心して経過を見ていられるからです。

「生きるか死ぬか」分からないと、不安ですよね。

整体は感応の技術であり、愉気が基本です。

見るほうが不安だと、愉気ではなく、不安や心配が相手に伝わってしまい、経過を乱します。

下記では、晴哉先生の高弟であった故・田総康夫先生のお弟子さんである、日比アキトモ先生が実際に「死んでるのか?」と思ったけど禁点の硬結を見て、死なないと確認し、安心して愉気できたご経験を書かれています。↓

DEAD or ALIVE。死ぬのか、死なないのか。それが分かれば力になる。

お父様が倒れた際、禁点に硬結がないことを確認して普通に愉気ができたお話や、

整体指導者のご友人が下血吐血しながら倒れた際に、救急搬送されたくないから先生を呼んだそうですが、禁点の硬結がなかったから通常通りの調整ができたお話など、

とても興味深いです。

いったん救急搬送されちゃうと、標準医療のプロセスに従うことになり、自分の意思はほぼ通りませんからね。

一般には理解しがたいと思いますが、整体関係者はなるべく避けたがる人は多いです。

先生は死にそうになってる人を見た時に、

  • 呼吸
  • 禁点
  • 上頸:頚椎2番3側=脳の異常

を確認して、異常があれば119番とされていますが、これは信頼関係と観察技術、調整技術があって為せる技です。

後述しますが、素人が真似すると危険な場合もありますので、注意して下さい。

不安な場合は、救急車を呼んで下さいね。

しかし、いざという時は、腹を括って愉気して下さい。

大丈夫。

ふれて愉気をする者にとって

目の前のひとが、

死ぬのか、死なないのかが

分かることは

自分の在り方を決定づける

とても大事なこと。

感応して伝わるのが

『愉』になるのか

『不安』になるのかの分かれ目となる。

師匠の田総先生のお人柄とご指導が垣間見れる素敵な記事↓

宝物に触れるように人にふれる師匠の整体指導の風景

晴哉先生は、死ぬ前に弟子達を集めて「自分は何月何日何時に死ぬよ」と言って、実際その時間に自然に亡くなったそうですが、田総先生もご自身の死期を分かっていたようです↓

悲しみの中からカラダはどのようにして再び歩み出していくのか

田総康夫先生に初めてお会いしたときに、先生の前でうつ伏せになり指導を受けている方の背中をまるで宝物のように触れている先生を見て、この人には野口晴哉が言っている「いのちへの礼」がただの観念ではなく、ちゃんと直伝で伝っているひとだと直観した。

そんな風に感じた唯一の整体指導者が田総先生だった。

のちに野口晴哉が亡くなる直前に「あとは田総を中心にしてやっていくように」と指名された方であることを知る。

実際、私が初めて田総先生の指導を受けたときに掛けられた言葉は「もっと楽に生きられるといいのにね」というものだった。

野口整体指導室 プロフィール

病院行くか行かないか問題

晴哉先生の本を読んでいると「愉気だけで充分」「病院の世話になんかなるもんか!」という気になってくることがあります。

「病院に行かない」と本人が決めるのは自由ですが、一方的に押し付けたり巻き込んだりすると、トラブルになるので気をつけましょう。

私も自力で経過した方が丈夫になるので、できるだけそうしたいとは思っていますが、そのためには充分な体力と観察技術や経験、周りの理解がないと難しいので、極端にならず、臨機応変に対応していくくらいのスタンスでいます。

今回書いてる「生きるか死ぬか見分ける方法」は、「臨機応変」の目安になりますが、過信はせずに少しずつ体を育てていきたいですね。

愉気は全てを治す!?

なるべく医療にお世話にならないようにする場合、普段から信頼できる先生に観てもらって、不安な時は指導を仰げると安心ですが、頼ってしまうのは医者に頼るのと大差ない気もしますし、自分自身に対しては自分で責任を持つのが基本です。

そのためには、ある程度、自分で観察したり経過の仕方を知っておくことが大切だと思います。

特に「生きるか死ぬか」の観察は、できないと相手や自分を危険に晒すことになりますし、いざという時に慌てない「たしなみ」とも言えます。

先日「愉気」のYoutubeにショッキングなコメントをいただきましたので、ご紹介します。

先日、大腿骨骨折した患者の弟さんが「愉気で治すから家に連れて帰る!」と言い、医師の説得も聞かず連れて帰り、3日後に患者さんは亡くなられました。
その弟さんは「愉気は全てを治す」と言い張ってましたが、結局は家族を殺したようなものです。
それ以来、愉気なるものに不信感しかありません。

Youtubeの匿名コメントですから、真偽も詳しい状況も、投稿者さんがどういう関係の方(担当医師?)なのかも分かりませんが、下記返信させていただきました。

お話、とてもショックです。

私もそうなのですが、野口整体や愉気の愛好者の中には医原病に悩まされた人も多く、なるべく病院に行かないという人は多いです。

また創始者は手技のみで何でも治せたというような話もあり、中には盲信してしまう人もいるようで、「愉気は全てを治す」と言い張った弟さんもそのような状態だったのかもしれません。

個人的な意見としては、愉気をすると治りが良いような気がするのは、やってみれば感じることですし、大怪我などの場合は特に、治療と並行しながら、家族がやってあげられることとして、愉気をおすすめしたいです。

しかし、今回のようなことが起こらないよう、注意喚起はしていきたいと改めて思いました。
ご投稿ありがとうございました。

3日後に亡くなったということは、病院で揉めた時点で禁点は出ていたはずで、どこにいても亡くなっていた可能性はありますが、この状況だと、連れて帰ったから亡くなったと感じるのが常識的ですよね。

何も知らない人に「禁点」がどうとか言っても不信感が募るばかりでしょうから書きませんでしたが、きちんと確認できていれば、状況は変わっていたかもしれません。

身内が瀕死で気が動転してたのだとは思いますが、、

パニック状態では愉気はできないし、禁点も観れないと思うから、そんなに頑なにならなくてもいいのにと思うんですけどね。。

ご本人がどうしたかったのかは分かりませんが、普段から絶対病院に行きたくないと決意表明してたのに、意識不明で救急搬送されたとかなんでしょうか?

それなら分からなくもないけど、、

もし本人の意思で病院に行ったのに無理やり連れ戻して亡くなったのだとしたら、怖いです。

でもどうしても助けたいという気持ちは分かります。

お医者さんも弟さんも。

ただこの話、色んな意味でかなり首をかしげました。

ワクチンのことディスると「死ね」ってメッセージが届いてたような世の中ですので、こういうコメントも情報操作の一環かも?なんて疑っちゃいました。

整体信者さんもいるようなので、あり得る気もしますが、、

いずれにせよ、0/100のフォルダ思考になる人が多いので、注意しましょう。

この件に限らず、

病院に行く行かないは、本人の希望が第一で、臨機応変に判断していくしかないと思いますが、世間では整体について理解のある人はほとんどいませんし、どうしても周りの人と意見が合わなくなることがあるかもしれません。

ここに書いてある方法を試して大丈夫と思っても、過信はいけませんし、一方的に押し付けるとトラブルになりかねません。

いくら自分が整体や愉気を好きでも、相手はそうではないかもしれないし、気をつけたいですね。

整体の教義よりも、目の前の相手を大切にしてください。

愉気なんて、やりたきゃこっそりやったらいいと思います。

そもそも、命に対しては、お節介だということを忘れずに。

愉気が治すのではありません。

なぜ病院に行きたがらない?

整体関係者が病院に行きたがらないのは、「自然に経過する」のを乱したくないというのが大きな理由だと思います。

医療より整体、というか生命の方が信頼できる、なにがあっても自力で経過する自信があるし、死ぬ覚悟もあるって方もいると思いますが、

もしかすると、整体や愉気を誤解して、単にタブーみたいになっちゃってる方もいるのかもしれません。それは怖いですね。

必要なら行く、必要ないなら行かない、でいいと思うんですけど、

むしろ、だいたいのことは、体が必要があってやってることで、必要がなくなれば勝手に治ってしまうことが経験として分かってくるし、治療というのは、どうしても経過を乱したり、体に負担がかかることを実感してるので、あまり安易に医者にかかる気にならないってのはありますね。壊すように見えるものも多いです。

ヘルニアで腰椎にボルトを入れた方の異様な腰の硬さは忘れられません。。

どれだけほぐしても、また戻ってしまうんです。

医療側も「標準治療が遅れる」「手遅れになる」と脅す前に、ひどい”治療”をやめてほしいです。

とはいえ、それこそ骨折などは病院で繋いでもらってから愉気した方が簡単に治ると晴哉先生も言ってるくらいだし、医療にお世話になることもあるかもしれません。

そう決めたなら、敬意を持って治療を受け、その後のケアはしっかりしておくことをおすすめします。

特に麻酔を伴う手術などの場合は、打撲の状態になることも多く、術後は必ずその処置はしておきたいです。やはり信頼できる先生が近くにいると安心ですね。

現代医療は緊急の応急処置は得意だと思いますが、基本的に対症療法中心なので、生活習慣等からくる慢性的な不調に関しては、心身を整えていくのが合っていると思います。

最近は「病院に行くな」「薬を飲むな」とはっきり言う先生は少ないかもしれませんが、医療との併用を快く思わない先生は多いと思います。それは、整体では症状は体からの必要な働きとして出ていると観るので、それを止める治療というのは、体を鈍らせるという整体の目指すところと逆になるため、せっかく整ってきた体が乱される、壊されるのはやるせないというのがあると思います。こんな時代で、なかなか言えないけど、きっと体を観てるとそう感じられて悲しいのだと思います。

もちろん仕方のないことはありますが、不摂生や医療の後始末ばかりさせるのは失礼です。

自分で観察すれば気付くこともありますし、自身が丈夫になるよう実践しながら、ご指導を受けていきたいですね。

全く医療を受けない人たち

信じられないかもしれませんが、野口整体実践者の中には、生まれてから一度も薬を飲んだこともないし、病院に行ったこともないって人がいたりします。

例えば、野口家の人達はすでに四世代に渡って、一切医療と縁のない生活をしていらっしゃるはずです。

たしかに憧れるところではありますが、それは周りに先生がいたりして、整体的な生活に協力的な環境があり、お腹の中から愉気を受けて、子供の頃から自然に病気や怪我を経過して成長してきた野性的な心身だから自然とできることであって、子供の頃から薬品漬けになって、病気の恐怖と医療の権威を植え付けられてる、普通の現代人が即座に真似するのはなかなか難しいと思います。

晴哉先生は、整体は三世代かかると言ってましたが、体が整うという意味だけでなく、潜在意識的に体への信頼が「当たり前」になるという意味も含まれるのかもしれません。

整体技術が必要なくなるのが目標なのだと思います。

下記は晴哉先生のお孫さんのコーキさんの取材記事です。

病気にならないわけではないけど、肝炎も骨折もなにもせずに治ったそうで、そういう世界線の方が、ワクチン旋風吹き荒れた2021年にどういう感じだったか、とても面白いので、ぜひ読んでみて下さい↓

「病とは治療するものにあらず」──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践・前編

「病とは治療するものにあらず」──全生を説いた体育家・野口晴哉の思想と実践・後編

”要はどれだけ生命を信頼できるかなんだと思いますね。その上で、必要以上の外注はしないということです。”

どこまでどういう形で介入するかは各々の自由ですが、他人任せにしないのは大前提ですかね。

今の私は、なるべく医療に頼らず、愉気は便利に使うってくらいですが、

最初から当たり前に恵まれていたものと、自ら努め励んで得たものには、それぞれの良さがあります。

いつか捨てられるほどになりたいものです。

怪我をすると、傷口付近の気が通りにくくなるんです。

そこを気が通るまでしつこく愉気します。

また気付いたら通らなくなってるので、また愉気する、というのを繰り返しながら治っていくと、きれいに治るし後遺症も残りにくいと思います。

むしろ、もともと気が通ってなかった部分を怪我するのでは?と思ったり。

怪我してすぐは、化膿活点が重要です。

化膿を防ぐというのが大きな目的ではあるんですが、化膿活点、及び関係する胸椎7番は意識できない不安、免疫の急処です。

怪我をしてショック状態の時はあまり痛みを感じなかったりするんですが、化膿活点に愉気すると正気に戻るというか、息ができなくなってたのが息を吹き返して、「痛ったぁーー!!」と叫んで転げ回る(活元運動が出る)くらいになるというのは、去年怪我をした時、経験したことです。

ちなみに地震の前は、胸椎7番が過敏になるそうです。胸椎4番と8番で地震の予知ができるという話も? 志賀原発もありますので、念のためお近くの方は盲腸も確認しておいて下さいね。

こういうこともあるので、プロでなくても基礎的な整体の知識は身につけておいた方がいいと思うんです。相互扶助ができますし。

近くの人と活元運動や愉気ができると、随分ホッとできると思います。

たぶん「被害者」として助けてもらうだけより、自分も助ける側に回った方が元気になるんですよ。

やってあげる、やってもらう人を決めるんじゃなくて、お互いやり合えるのがいいところ。

愉気を練習し始めると、

つい「治してあげなきゃ!」と気張ってしまうのですが、晴哉先生は再三「良くしてあげよう、治してあげよう」と思うのも邪気と言っています。

体というのは「良くなるように出来ている」のだから、そのうえに、良くなろうとか良くしようなどと思う事は、それは焦りなのです。

野口整体を愉しむ(続編)気の速度

焦っていると気付いたら、まずは自分自身を整えましょう。

いつでも天心の愉気ができるようになりたいですね。

一息四脈

禁点の硬結は、ちょっと素人には難しいし、「生きるか死ぬか」まで行かないけど、「結構重症っぽいな、どうしよう。。」という時に使えるのが「一息四脈」です。

文字通り、1回息をする間に4回脈を打つのが正常なので、それからズレた場合に警戒を要します

例えば、

1分間測って、「吸って吐いて」を一回とすると、18回だったとします。

次に1分間の脈を数えると、70回。

70(脈)÷18(呼吸)=3.9≒4

ですから正常と言えます。

(意識すると自然に息するのが難しいですが、人が眠ってる時に観ると分かりやすいです。)

病気で高熱が出たりすると慌てますよね。

脈・呼吸ともに早くなることが多いですが、例えば脈が100回打つ間に呼吸が25回なら、一息四脈を保ってますから、どんなに派手な症状が出ていても、通常の経過と観ます。

一息三脈以下の場合は、本人の力で経過するのが難しかったり、体調が崩れていくことがあるので要警戒、なるべく操法を受けるなどして整えて下さい

一息二脈や一息一脈は危険な状態です。信頼できる整体指導者が近くにいない、自分で対処する自信がない場合は、病院に行って下さい。

焦っていると正確に測れないことがありますし、普段から手首の脈をとる練習がてら、脈と呼吸はたまに観ておくと、いざという時に慌てないと思います。

特に、しょっちゅう病気になるのが当たり前の、お子さんのいるご家庭ではとても便利な方法です。

子供は自分の力で病気を経過するたびに丈夫になりますから、ぜひ安心して見守ってあげて下さいね。

一息四脈はよく使う!

「大丈夫かな?」って思った時はまず観てみてください。

私はきっちり一息四脈しか観たことがありません。

まずズレない。

整体協会出身の吉田直樹先生が詳しく説明して下さっているので、ご参考に↓

風邪の安全な高熱と、危険な高熱の見分け方

三脈護身術(三脈法)

災害時や事故の回避などに使えるのが「三脈護身術(三脈法)」です。

左右の頸動脈と手首の脈の3点は通常一致していますが、24時間以内に命の危険がある場合、3つがバラバラに打つそうです。

これは禁点の硬結と違って、そのままいくと命の危険があるということなので、脈が3つ揃うまで行動を変えることで、危機を回避することができるというものです。(詳しくは動画で)

ほんとに!?

経験がないので絶対とは言えませんが、実際にそれで危機回避できた人もいるみたい!

妹は地震後、避難する車の中でドキドキしながらやってみたそうですが、正常だったそうです。

過信はいけませんが、少しは安心できると思うし、もし本当にズレていれば、ズレなくなるまで行動を変える必要があります。

余震も続いているようなので、しばらくは練習のつもりで毎日みてみるのもいいかもしれません。

参考にさせていただいた下記のブログが、回避できた話なども載っていて詳しいです。

【驚愕】自分の命に関わる危険を最初に教えてくれる人体のある箇所とは?

第二弾!【さらなる衝撃!】自分の命に関わる危険を最初に教えてくれる人体のある箇所とは?その2

3つバラバラの場合は、命の危険なんですが、一つズレるのは人間関係や健康、金銭トラブルの予知にもなるらしく、これならたまにズレてるんじゃ?と思うので、喧嘩や体調、取引など、なんか気になったときは観て見ようと思います。

ズレてたことがある人によると、虫の知らせ?でなんとなく嫌な予感がして観てみたらズレてたから道を変えたら行こうとしてた道で事故が起きたとか。

必要な時に思い出しますように。

古典的には、

  • 右頸だけズレる→病気(急性疾患や発作)
  • 右手首だけズレる→対人トラブル
  • 左頸だけズレる→物や金銭トラブル
  • 3つともバラバラ→命の危機

だそうですが、上記サイトさんが調べたところによると、

  • 右頸or右手首だけズレる→自分の問題の結果として起こったと感じる災難
  • 左頸or左手首だけズレる→被害者として起こったと感じる災難
  • 3つともバラバラ→命に関わる重大な危機が24時間以内に迫っている

ということを発見されたそうなので、ご興味のある方はちょこちょこ観てみてください。

検証したいので、なにか体験された方はぜひコメントお待ちしております。

こんなに簡単で、別に害があるわけじゃないのに「オカルト」ってだけで試そうともしないし、信じない人が多いんですよね。

パニック状態では特にそうだと思いますが、ズレてて他の人の避難も誘導したけど動いてくれず、亡くなってしまったという例なんかもあり、残念ですが、もうしょうがないと思うしか。

自分自身を守るのが最優先、あとは可能な範囲で。

肛門の締まり

もし、たくさん瀕死の方がいて、丁寧に調べていたら間に合わないような場合、

肛門に指を入れてみて、ズブっと入るようならだめだから、キュッと締まってる人から助けなさい、という話もあります。

肛門は心臓と関係があり、全身をまとめる働きがあります。

つまり「生きる力」と直結しているので、

普段から肛門を締める訓練をすると、体を若く保てるようです。

やってみれば分かりますが、姿勢が安定しますし、気の操作や体操にも肛門は重要です。

決断力も肛門と関係があるようです。

気付いた時にやってみてくださいね。

まずお臍の真裏の骨(腰椎三番)を前に突き出すように反らせるんです。そこにお尻の穴を縮めた力をもってくるのです。お尻の穴をグーッと縮めて腰椎三と臍の中間の処、これは人間の中心なんですが、そこへお尻の穴を縮めた気をフーッともってくる。そしてジッと息をこらしていて、息を一回フーッと吐いてもお尻の穴を縮めた気は抜かないのです。吐いて、それからもう一回吸って、二度目にフーッと吐いて抜く。それを時々繰り返しておりますと、体は若くなります。

野口晴哉『愉気法』

「肛門を締める感覚が分からない」って方がいるんですけど、

いたら教えて下さい〜

お腹の観察

体が整っていると、お腹は

  • 腹部第一(みぞおち):きょ
  • 腹部第二(腹部第一とお臍の中間):ちゅう
  • 腹部第三(お臍から指三本下):じつ

となります。

私は腹部の観察がイマイチよく分からないので、晴哉先生の説明を読んでみてください。

腹部第一は虚、第二は冲、第三は実。そうなっていれば正常に営まれている。心配しなくともそのまま良くなる。その人は整体です。

第一に指を当てて愉気する、速度が合えば、感応します。感応すると活元運動に発展していくこともあれば、お腹の臓器が動き出すこともある。食べ過ぎの人だと左だけ動く。中毒している人は右だけ動く。下痢や便秘の人は、臍の周りだけが動く。

いろんな動き方をします。

剣状突起から相手の指で三本分のところ。この第一に指がスーッと入れば正常です。何か異常があると、硬くなっていてスーッと入らない。そういう時は、そこを押さえながら待っていますと、お腹の中に運動が起こってきます。その運動がおさまると、スーッと指が入るようになる。

入ればその体は整ってきたのです。

第二は、第一とおへその中間。触っていくと穴があいてくる。ここに指が入る過ぎるようだと、それは異常です。ここは冲といって、穴があいていることも判らず、逆に盛り上がっているというのも判らないのが正常なのです。

体に異常があると、凹んでいたり、飛び出していたりします。

そこをジーッと押さえていて穴があいてきたという場合は、歳をとっているということです。そこが虚になっている。老人はみな第二が虚になっている。

ここがズブズブとどこまでも凹んでいく感じ。だから相手が息を吸ってきた時に、ちょっと押さえてみると、押さえた指をはね返す力がない。若い人にもそこが虚になっている人がある。何らかの発育不全がある人達です。

体力が弱ってくると、やはりここが虚になってくる。ここが冲であれば、調整の必要がない。

この第二が冲ではなく、虚になったり、実になったりしていると調整がつかない。

そうなると、その人の第一はますます実になる。あるいはますます虚になる。

第二が実になって、それが徐々に上に上がっていって、剣状突起とくっつくところで実になると、それは死を意味する。そこは漢方でいう膏肓(こうこう)で、「病膏肓に入る」というのは、もう針や薬では手に負えないところとされている。そこの皮膚が湿度を失って乾いてくる。

乾いてきたら、ぼつぼつ警戒がいる。第二の実が上がってきてそうなるまでは平気です。

剣状突起の内側にちょっと指を入れると、そこに米粒の半分ぐらいのかたまりがある。そのかたまりが、だんだん硬く小さくなってくる。それが判るのは四日間ですが、四日目だと小さくなりすぎて判らない。そうすると死ぬのです。

野口整体を愉しむ(続編)気の速度

初心者の方には難しいと思いますが、その人が今どんな状態であるかは、お腹で観ることができるってことです。

禁点の硬結もお腹の観察の延長にあるようですね。

お腹は特にやさしく触ってくださいね♡

活元運動

活元運動も、死ぬ4日前から出なくなると言われています。

ですから、普段から活元運動をやっている人は、自分が死ぬということが分かるかもしれません。

ちなみに野口整体では産後、骨盤が左右片方ずつ縮んでいく数日間は絶対安静、体温が3回目に揃った時に起き上がると骨盤が揃うので、その後一生の健康を左右すると言われていますが、この絶対安静の期間も活元運動が出ないと言われています。

また整体の人が自然死する場合、自力で動けなくなるのは、死ぬ前の4日間のみになることが多いようで、長く患って苦しむのは自然ではないと言われています。

死ぬ前に苦しむのは、エネルギーが余ってるからなので、本人が食べたくないのに点滴や胃ろうでエネルギーを入れるのは、余計に苦しませることになります。エネルギーが枯れるように死ねば楽らしい。

長患いしたくない、できるだけ他人のお世話にならず、楽に死にたい人は活元運動をやりましょう!

体癖の数

体癖は、気の方向で観ることができます。

誰でも3つありますが、死ぬ一年くらい前から、2つになり、1つになり、亡くなるというのは、私の先生が発見されたことだと思います。(確かめたことはありません)

表、裏、3つ目、どんな順番で抜けていくかも聞いたのですが、忘れちゃった。。

それまでは基本的に誰でも3つ揃っていますが、例外的に妊娠中から産後しばらくは整体ならば10種と7種(つわりの時は7種と3種)の2つになります。

またコロナワクチンを打った後は8種と10種の2つになったので、非常に負担がかかった場合などに、一時的に2つになることも考えらます。(通常の予防接種後に出る免疫系の異常の他に、帯状疱疹や怒りっぽさなど泌尿器系統の変動や、心筋炎等心臓の負担、不正出血等、生殖器の変動が多かったことと関係があるように思います。)

心臓付近に真っ黒な気の大穴が空いて死ぬかと思ったけど、お陰で行気やり込む羽目になって、色々発見できたわ!!

死の気配として、姿や影が薄くなると日比先生は書かれているし、晴哉先生が亡くなる数日前に奥様がスーッと白いものが抜けていくのを見て、それから様体が急変したというような話もあったと思います。

やはり死ぬ時には、魂が抜けるということなのでしょうか。

体癖も死ぬ前に抜けていく。

ということは、、、

体癖の正体は、魂なのかもしれません。

知りませんよ、3年間「体癖とはなにか」と考えてたどり着いた現時点での仮説です。

何か分からないものをどう扱ったらいいか分からないじゃないですか。

だから自分の中で、一体なんなのかってのを仮定したかったんです。

より分からなくなりましたけどね!

「宝物に触れる」つもりでってことでいいのかな?

軽ーく紹介するってコンセプトだったはずが、えっらい重くなっちゃったなー。

そもそも魂ってなんだよ!?って話ですけど、、

晴哉先生は「気の背後にあるもの」って言ってます。

気が合うと遠く離れたアメリカにいても効くものです。

気が合わなければ隣にいても何も作用しない。それが気というものなのです。

だから生理的とか物理的とかいうのでないもの、”気”の背後にある何かが、”気”を通し感応するのですから、魂の感応という方が本当ではないか、と思っております。

魂の感応

自分ではそういうつもりでやっております。

自分の全部を叩きつけるようにして愉気をします。

指先だけでの誤魔化しはしません。

だからその人の全部が動き出してくる。

そうでなければ愉気というものでないと、私は思っております。

手から出る気を伝えていくとか、その気で傷口を治すとかいうのは、生理的な気かも知れません。

もっと直接に、その人の魂に自分の魂をぶっつけて、そして揺す振り起こして行くことが、愉気ということの本式なやり方ではないかと思うのです。

野口晴哉

魂をぶっつける??

「気合い」って言ってもたぶん生理的・物理的な技術としてちょこまか合わせていく感じではないですよねー。

まぁその辺は、置いといて、、

いつも体癖を観てたら、死ぬのが分かってしまうってことなんですよね。

少なくとも自分のは分かっちゃいますよね、一年前?から。

だからこんなの公開して良いのかなって頭抱えたんですよ。

まぁメメント・モリってことで良いのかな。

体癖学ぶ人はその覚悟でお願いしますね!笑

そういう風に観てれば、肉体に対して無理な延命をしようなんて発想にはとてもならないですね。

ただ波を乱さず、楽に死んでくれればと。

死ぬのが悪いということではない。生きているものはみな死ぬのです。死ぬものまで助けようなんて言うのは、越権行為です。人間の中には生きる要求と同時に、死ぬ要求もある。それらはともに自然の要求です。

野口晴哉

楽に死ぬ方法

晴哉先生の周りには「楽に死にたい」人たちが集まってきてたと言われますが、そのことについてまとめて下さっているブログがありました。

終末期のケア (野口整体)

晴哉先生は、会員さんが亡くなる時によく昏睡状態になってたらしく、亡くなる人が挨拶に来て、その後訃報があるという感じだったみたいです。

亡くなる人が苦しんでると、苦しいらしく、肩代わりしてるように見えたとも。

魂が感応した「本式の愉気」で繋がっていると、そういうことが起きるのかもしれません。

楽に死ぬための整体指導っていうのも、文字通り他人事ではないから必要に迫られてやってたのかもと思ったり。

カリスマも楽じゃないですね。

先生は「命に対する礼」として、楽に生き死ぬために、活元運動と愉気、天心に生きることを教えましたが、死ぬ時に苦しんでいる場合は、みぞおちの愉気をすすめています。

生まれる時は息を吸って始まり、死ぬ時は吐いて終わると言われますが、

なかなか死ねなくて苦しんでいるような場合、みぞおちに愉気をすると、ふっと息を吐いて安らかな顔になって、楽に死ねるそうです。

もちろん、死ぬ前にできるといいのですが、死んでから苦しそうな顔をしてる場合も、愉気すると顔が変わります。

祖母が亡くなった後に愉気してみたら、たしかになんか顔がすーっと変わりました。

人間は死ぬに決まっているのだし、これまで死ななかった人は一人もいないのですから、その準備が出来たからといって、それを取り除こうなんていうのは可笑しなことで、そういうものを抱えたままで生きていればいいのです。

私はそうするほうが自然だと思っている。それを見つけ出したからといって、無理に治そうとして、かえって体を毀されてしまうというようなことになれば、それは殺されたということに近い。そういうのは死ぬまいとして殺された、という事だとさえいえる。

それは死ぬということとは違う。

今は、死ぬまいとして毀される人が多すぎます。

もっと、自然に生きるということ、自然に死ぬということを会得する必要があるのではないか、そう思います。

だから禁点の硬結をみつけてびっくりするような人には、これは本当は教えたくない。知らないまま悠々としていたほうが望ましい。

しかし、もしそれを見つけたという場合には、今言ったことを憶えておいて下さい。

野口整体を愉しむ(続編)気の速度

まとめ

いかがでしたか?

不安になった時は「生きるか死ぬか」を観てみて下さい。

だれでも簡単にできて便利なのは、一息四脈と三脈護身術あたりでしょうか。

さっそく試してみてくださいね!

「やばい死ぬ!もうだめかも!」とか言ってても、だいたいの場合、めちゃくちゃ正確な一息四脈を打ってたりするもので、頭は馬鹿でも体は賢いなーなんて思うことも。

地元の被災状況を見聞きすると胸が痛みますが、

二歳の甥っ子は、さっそくテーブルをガタガタさせて地震ごっこして遊んでるそうで、

恐怖や不安は頭で作ってる部分もあるなぁと。

道路が土砂崩れで寸断されて孤立状態だった集落に、自衛隊やテレビ局が徒歩で入ってみたら、驚いたことに、皆さん余裕で暮らしていたそうです。

山のきれいな水があって断水でも困らないし、お米や豆や野菜も作って保存してるし、救援物資がなくても特に困らなかったそうです。おばあちゃんが体を温めるために元気に雪かきしてたんだとか。

すごい!

もちろんそんな地域ばかりではないですし、必要な支援が届き、皆さんが安心して暮らせることを願っています。

妹は2年前に能登町に移住し、古民家をリノベーションして民宿の営業を始めたばかりだったのですが、当分家に帰れそうもなく、お友達家族も避難所生活で苦労されてるそうです。

能登は去年ぐるっと旅行しましたが、日本の美しい自然が残る素敵なところでした。

そしてお魚は最高に美味しいです。

羽田空港から能登空港までは直通があって、意外と首都圏からのアクセスもいいので、

復興が進み、受け入れ態勢が整えば、能登で合宿できたらいいなと思っています。

お亡くなりになった方のご冥福、そして一日も早い復興をお祈りしています。

妹がNHKのワールドニュースから取材を受けました。よかったら見てみて下さいね!

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”new normal”に適応しようと奮闘してる??

不自由でお金のかかる仮住まいの暮らしや水の出ない被災地の生活を”new normal”って言ってんの?「新しい生活様式」ってほんと気持ち悪かったですよね。

unsettled lifeとかで良くない?

おのれこそ

おのれのよるべ

おのれを措きて

誰によるべぞ

よくととのえし

おのれにこそ

まことえがたき

よるべをぞ獲ん

法句教

コメント

  1. 『NEMOさんの体操は私には強い、速い』と言われたが呼吸の間隙は野口整体の特徴の一つ。正體術は高橋迪雄さんのオリジナル。
    私からの不安を感じるなら今後一切呼吸の間隙という言葉は使ってはならない。
    同様に正體術も行ってほしくない。

  2. 不安感を与えたのなら申し訳ない。
    LINEは削除しました。

  3. 初めてコメントいたします。
    禁点、、病気以外にケガや事故の場合も現れるのですね。まるで漫画「北斗の拳」でいうところの死兆星(しちょうせい)よようですね うむ~すごい。
    わたしは医原病でさんざん痛い目に遭いましたので病院にはもう行きません。もしも行くときは交通事故で大怪我したりした場合の救急医療のみと決めております。
    民間医療だけで医原病の死の縁から立ち上がった者です。
    こういったお話がなかなか伝わる方は多くはありませんが、伝わる方に伝わればおーけーと思っています。
    自分の医原病に気がつけたお陰でコロナ騒動のウソにも気がつけてワクチンも打たずにこられました。まことにこの世は陰と陽の両方で成り立っているのですね。
    昨日は久しぶりに野口整体の流れを汲む先生に身体を診ていただいて全身が大変楽で心地よい状態です。
    今回のブログも大変興味深くおもしろく拝読致しました。ありがとうございました。

    • ありがとうございます。
      死兆星!笑  禁点不思議ですよね〜

      医原病で死の淵。。
      いったい現代人のどれだけの不調が医原病由来なのかと考えるとやるせない気持ちになりますが、
      やっぱり自分がひどい目に遭わないと、なかなか常識は疑えないんですよね。
      結局自分で気付くしかないので、伝わる人に伝わればでおーけーくらいが、適温かと私も思います。

      操法後の体の快適さは、やはりプロのありがたみを感じますよね。
      今後ともよろしくお願いします!

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